達磨忌

  • 2019.10.07 Monday
  • 21:00

2日前の5日は達磨忌(達磨さんの命日)でした。

達磨さんは、南インドの人で香至王の第三王子と伝えられています。般若多羅尊者(はんにゃたらそんじゃ)について坐禅修行にはげみ、高齢になってから中国に渡りました。その後、梁の武帝と面接。国の発展の為に仏教を利用した武帝と考えが合わず、洛陽の郊外にある少林寺(※少林寺拳法で有名)にて坐禅を行い、坐ること九年間にわたったといわれます。この行跡を面壁九年(めんぺきくねん)と呼んでいます。

その後、達磨さんの弟子慧可大師(えかだいし)が法を受け継ぎました。器から器へ水を移していくように各祖師方が法を受け継ぎ、やがて永平寺を開かれた道元禅師に伝わりました。

 

達磨さんが中国に禅を伝えなければ、日本に伝わらなかったでしょう。
達磨さんの行跡を偲び法要を営みました。

観音様の祭典

  • 2019.04.18 Thursday
  • 21:00

本日は、平成最後の金龍山瑞雲寺観音様の祭典でした。
朝早くからお手伝いに来られた講員の皆様方には感謝申し上げます。
今までの観音様の祭典の中では一番天気が良かったのではないかと思います。

 

10時、観音堂において祈祷
10時半、本堂にて仏祖諷経
11時、レクダンス
12時、観音講総会

 

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ポスター

 

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観音堂

 

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桜もだいぶ散りました。

 

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レクダンス披露
 

来年も楽しい祭典にできればと思います。

お釈迦様の誕生日

  • 2019.04.09 Tuesday
  • 20:00

8日はお釈迦様の誕生日でした。

お釈迦様は、母親であるマーヤー夫人が、白いゾウが天から降りてお腹に入る夢を見て懐妊されました。
そして、無憂樹(むゆうじゅ:マメ科)の花が咲くルンビニ園でお生まれになられました。お釈迦さまが誕生されたのを見て、竜は天から降りて香り高いお湯と水を灌いで産湯につかったといわれています。

その後、お釈迦様は立ち上がり、右手を天に、左手を地に「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」ととなえられたと伝えられています。意味は、私たち一人一人の存在は非常に尊い存在でありかけがえのないたった一つの命をもっているということです。我とはお釈迦様お一人のことではなくすべての人々が尊い命をもっているということを教えているのです。

 

 

ヒマラヤの  雪の浄さよ
ゆたかなる  カピラの城の
奥ふかく  眠る妃の
ほほ笑める  顔の安けさ
白き象  天よりくだり
ふしぎにも  み胎に入ると
夢に見て  みごもりたもう
よろこびの  きざしなりしよ
アソーカの  花咲く枝に
手をのばし  ふれたもう時
たぐいなき  御子生れましぬ
みどり児は  起つとみるまに
天と地を  指さしまして
高らかに  唱えたまわく
世に独り  我ぞ尊し 


お釈迦様の呼称に「ほとけさま」があります。
「ほとけさま」の漢字は皆さんご存知の通り「」と「」の2種類あります。

「仏」の字を分けてみますと、右側のムは「わたくし(私)」「〜でござる」「〜であります」を意味するそうです。
左側のイと右側のムを合わせて「人でム(ござ)る」は、人を意味しています。

「佛」の字を分けてみますと、右側の弗は「〜にあらず」を意味するそうです。
左側のイと右側の弗を合わせて「人に弗(あら)ず」は、人であって人でないを意味し、転じて悟りを開いた者を意味すると私は理解しています。ちなみに「沸騰」の「沸」は「水に弗(あら)ず」は、水であって水でない沸き立つようなお湯を表しています。

「仏」と「佛」どちらが「ほとけさま」にふさわしいかと言えば、漢字のつくりから考えると「佛」に軍配が上がるのではないでしょうか。

お釈迦様の誕生日である「降誕会」にちなみ「ほとけ」の字について考えてみました。

涅槃会と今年の干支・亥

  • 2019.02.18 Monday
  • 21:00

2月15日はお釈迦様がお亡くなりになられた涅槃会(ねはんえ)でした。お釈迦さまは、常に自分を省みず人の為に法を説かれ、ご生涯をクシャナーラの沙羅双樹(さらそうじゅ)のもとで命をとじられました。お釈迦さまがお亡くなりになられた光景を絵にしたのが涅槃図です。涅槃会というお釈迦様の御命日にあたり、午前10時半より瑞雲寺本堂において法要を執り行いました。

 

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涅槃図

 

今年の干支である亥を探してみました。

 

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涅槃図に描かれたイノシシ

 

丸森はかつてはイノシシの北限の地であったと小学生の頃、先生に教えられました。地球温暖化のせいか、いつしかイノシシの北限は丸森を越え、秋田とも青森とも言われる時代になりました。

 

瑞雲寺境内では鍬で耕したような跡をしょっちゅう目にします。その跡を作った正体は皆さんご存じの通りイノシシです。土の中にいるミミズを食べるためか、境内はイノシシによって耕されてしまいました。

 

1983年発行の「丸森線の里」という本に丸森のイノシシのことについて面白い話が載っていたので紹介します。

 

終戦(第二次世界大戦)前後の頃、大内の小学校の昇降口から、イノシシが入って来て、廊下をノソノソ通って、別な昇降口からトットコトットコ外に出て行った。学校にイノシシが来たということで、鉄砲を持って駆けつけると、五社壇(標高385m)の山を越えて、坂元の磯浜の方まで逃げて行った。追い詰めたイノシシは、ザブンと海に飛び込んで沖に向かって泳いで行った。結局、漁船の網に引っかかって御用と相成った。

 

日本広しといえども、海でイノシシを獲った話ははじめてではないかというお話でした。

 

おそらくお釈迦様がお亡くなりになられた時も、海をも恐れない猪突猛進ぶりで駆けつけたことでしょう。涅槃図にイノシシが描かれているのもわかるような気が致します。ただ、境内を耕すのはやめてもらいたいところです。

豆まき

  • 2019.02.03 Sunday
  • 21:00

今日は立春の前日である節分です。
季節の節目ということで、年に4回(立春・立夏・立秋・立冬)あるそうです。

午後18時30分、瑞雲寺本堂に於いて、豆を供えて御祈祷した後、各部屋ごとに豆をまきました。
金龍山瑞雲寺の住所は金山字形です。地名が鬼に関係のあることから「鬼は外」とは言わずに「福は内」と言って豆をまいています。

ちなみに鬼形という地名の由来ですが、金龍山の左側に鬼形山という山があります。
山の頂上には鬼のように大きな石があったことから鬼形になったようです。

鬼のように大きな石であれば鬼石山にすればいいのに鬼形山にしたのかは謎です。

※鬼形山の鬼石についてはこちら
※丸森で「鬼」という字を使う地名は鬼形の他に大内の鬼ヶ柵があります。

 

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炒った豆

高祖降誕会

  • 2019.01.28 Monday
  • 21:30

26日は大本山永平寺をお開きになられた道元禅師さまのお誕生日高祖降誕会(こうそごうたんえ)でした。

 

わかりやすく申しますと、永平寺(※福井県)をお開きになられた道元禅師さまが誕生された日を祝う法会(ほうえ)のことをいいます。午前11時過ぎより須弥壇に湯・菓・茶をお供えし御誕生を祝う法会を行いました。

初観音

  • 2019.01.18 Friday
  • 21:00

今日は、今年始めの観音様のご縁日(初観音)でした。

 

「かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃ」般若心経の最初に出てくる観音様(梵語ではアヴァローキテーシュヴァラ)。
観音様は、とてもやさしいお姿をしていらっしゃいます。観音様のお経である普門品では、あまねくこの世に生きている人々を救うため三十三の姿に変わると説かれています。三十三とはたくさんという意味です。

 

今朝から風が冷たく身が引き締まる思いでした。
11時より、観音講の講長さん・講員の方々が集まり、観音堂にて御祈祷。その後、庫裡の広間にて新年会を行いました。

どんと祭

  • 2019.01.14 Monday
  • 21:30

どんと祭といえば、宮城県の神社の行事といったところですが、お寺である瑞雲寺でも、規模は小さいながらも行いました。

 

午後9時、年縄・松飾り・昨年のお札などを注連縄で縛った後、今年一年無事に過ごせますよう瑞雲寺境内にてお焚きあげしました。冷え込んで寒い夜でしたが、煙がまっすぐに昇るほど風も無く穏やかなどんと祭でした。

 

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立ち上がる炎

成道会

  • 2018.12.09 Sunday
  • 21:30

昨日12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた日「成道の日」。
成道(じょうどう)というのは、「仏教の修行を完成し、悟りを開くこと」という意味です。

瑞雲寺ではお釈迦さまの悟りの日に因み、成道会(じょうどうえ)という法要をいとなみました。お釈迦さまが悟られた成道の日が大切なのはもちろんの事、悟りに到るまでの過程も大切であると思います。

お釈迦さまが生きていた当時の修行法には二種類ありました。それは坐禅瞑想して精神を統一する禅定。もう一つは断食(食を断つこと)などによる苦行です。

はじめ、お釈迦さまはある二人の仙人のもとで禅定の教えを受けていました。禅定に入っている時は不安や悩みを克服できても、一旦禅定から離れると、心に不安が戻ってくるのでした。

そのようなわけでお釈迦さまは、もう一つの修行法である苦行の道(断食:食を断つこと)に入りました。目は窪み、あばら骨が一つ一つ数えることができるほどに痩せ、肌の色はくすみ生きているとは思えない程だったといいます。

驚くことにお釈迦さまは、このような苦行を6年間も命がけで修行されていました。しかし、この苦行はお釈迦さまが思っている問題を解決するには到りませんでした。苦行は、肉体を苦しめ心に平安をもたらすどころか、ますます乱すものだったのです。

結局、苦行とは出家以前の享楽的な生活のもう一方の極端にしか過ぎないことに気づき、6年間の苦行を思い切って捨てる決意をしました。6年もの真剣に修行してきた苦行という積み重ねを捨てるというのはよほどの勇気がないとできるものではありません。

6年もの苦行を捨てるという大決意をされたお釈迦さまは、河の流れに身を清め、村の娘スジャータの乳粥の供養を受け体力を徐々に回復しました。そして、ブッダガヤの菩提樹という木のもとで、坐禅に入ります。悟りを開くまでここを動かないと決意し8日目、明けの明星を仰いだ時にお悟りを開き、仏陀(ブッダ)となられたのでした。

お釈迦さまのお悟りが無ければ、仏教は成り立ちませんでした。約2500年経った今でもお釈迦さまの教えを学ぶことの有難さに感謝して日々弁道精進していければと成道会の法要をしていて思いました。

 

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前正覚山の留影窟(※お釈迦様がお悟りを開くまで6年もの間苦行された洞窟)

 

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留影窟手前にある釈尊苦行のプレート

達磨忌

  • 2018.10.05 Friday
  • 22:15

今日は達磨さんの命日である達磨忌です。

壁に向かって九年間も坐ったと伝えられ、壁観婆羅門(へきかんばらもん)とも呼ばれています。

達磨さんは、南インドの人で香至王の第三王子と伝えられています。般若多羅尊者について坐禅修行にはげみ、高齢になってから中国に渡りました。その後、梁の武帝と面接。国の発展の為に仏教を利用した武帝と考えが合わず、洛陽の郊外にある少林寺にて坐禅を行い九年間にわたったといわれます。これを面壁九年(めんぺきくねん)と呼んでいます。

その後、達磨さんの弟子慧可大師(えかだいし)が法を受け継ぎました。器から器へ水を移していくように各祖師方が法を受け継ぎ、やがて道元禅師に伝わりました。そのおかげで現在の曹洞宗そして瑞雲寺があるわけです。

 

達磨さんの命日にあたり午前10時に、湯・菓・茶をお供えし法要を行いました。

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