涅槃会

2024.02.18 Sunday

2月15日はお釈迦様がお亡くなりになられた涅槃会(ねはんえ)でした。お釈迦さまは、常に自分を省みず人の為に法を説かれ、ご生涯をクシャナーラの沙羅双樹(さらそうじゅ)のもとで命をとじられました。お釈迦さまがお亡くなりになられた光景を絵にしたのが涅槃図です。涅槃会というお釈迦様の御命日にあたり、午前10時より瑞雲寺本堂において法要を執り行いました。

 

涅槃図

 

今年の干支である辰(龍)を探してみました。龍そのものは描かれておりませんが、とある人物に巻きつく姿で描かれております。その人物とは難陀(なんだりゅうおう)です。八部衆と一人で水中に住し、雲を呼び雨を起こす蛇形の鬼類である(※「絵解き涅槃図」青山社より)。難陀竜王は宝床(※お釈迦様が横になっている台)の右横に描かれていることが多いそうです。

 

難陀竜王

節分

2024.02.03 Saturday

今日は立春の前日である節分です。
季節の節目ということで、年に4回(立春・立夏・立秋・立冬)あるそうです。

午後18時00分、瑞雲寺本堂に於いて、豆を供えて御祈祷した後、各部屋ごとに豆をまきました。
金龍山瑞雲寺の住所は金山字形です。地名が鬼に関係のあることから「鬼は外」とは言わずに「福は内」と言って豆をまいています。

 

升に入った豆

どんと祭

2024.01.14 Sunday

午後5時の梵鐘を鳴らし終えた後、年縄・松飾り・古いお札などを注連縄で縛り、今年一年皆様が無事に過ごせますよう瑞雲寺境内にてお焚きあげしました。どんと祭といえば、宮城県の神社の行事といったところですが、お寺である瑞雲寺でも、規模は小さいながらも行いました。

 

例年ですと、周りに雪があったり、冷え込んでいたりと寒いイメージのあるどんと祭ですが、今年は風も無く穏やかでした。

 

成道会

2023.12.08 Friday

今日8日は、お釈迦様がお悟りを開かれて仏陀(ブッダ)となられた日で、成道会(じょうどうえ)と呼ばれております。成道とは道が成ると書いて仏道を成就してお悟りを開いたという意味です。

 

お釈迦様はシャカ族の王子としてお生まれになりました。何一つとして不自由のない生活を送られていたのですが、生きとし生きるものの悩みや苦しみを救う道を求めて29歳の時に城を出て、難行苦行の生活に入られました。

 

当時の修行法には二種類ありました。それは坐禅瞑想して精神を統一する禅定。もう一つは断食(食を断つこと)などによる苦行です。

はじめ、お釈迦さまはある二人の仙人のもとで禅定の教えを受けていました。禅定に入っている時は不安や悩みを克服できても、一旦禅定から離れると、心に不安が戻ってくるのでした。

そのようなわけでお釈迦さまは、もう一つの修行法である苦行の道(断食:食を断つこと)に入りました。目は窪み、あばら骨が一つ一つ数えることができるほどに痩せ、肌の色はくすみ生きているとは思えない程だったといいます。

 

仏陀苦行像(ラホール博物館)

 

 

驚くことにお釈迦さまは、このような苦行を6年間も命がけで修行されていました。しかし、苦行はお釈迦さまが思っている問題を解決するには至らず、肉体を苦しめ心に平安をもたらすどころか、ますます乱すものだったのです。

 

そんなある日、近くを流れている川のほとりを一人の青年が美しい声で歌を歌いながら歩いておりました。

 

弦(つる)が強けりゃ強くて切れる

弦が弱けりゃ弱くてならぬ

しめずゆるめず調子を合わせ

手ふり足ふりリズムに踊れ

 

この歌はお釈迦様にとって救いでありました。苦行とは出家以前の享楽的な生活のもう一方の極端にしか過ぎないことに気づき、6年間の苦行をいっさい捨てる決意をしました。真剣に修行してきた苦行という積み重ねを捨てるというのはよほどの勇気がないとできるものではありません。

苦行を捨てるという大決意をされたお釈迦さまは、河の流れに身を清め、村の娘スジャータの乳粥の供養を受け体力を徐々に回復しました。そして、ブッダガヤの菩提樹という木のもとで、坐禅に入ります。悟りを開くまでここを動かないと決意し8日目、明けの明星を仰いだ時にお悟りを開き、仏陀(ブッダ)となられたのでした。

 

ブッダガヤの大塔(高さ52メートル)

 

菩提樹

 

インドのムラガンダクィー寺院の壁画

 

お釈迦さまのお悟りが無ければ、仏教は成り立ちませんでした。約2500年経った今でもお釈迦さまの教えを学ぶことの有難さに感謝して日々弁道精進していきたいものです。

お釈迦様の誕生日

2023.04.08 Saturday

今日4月8日は釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)です。
わかりやすく言いますと、お釈迦様の誕生日であります。

 

今から2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地ルンビニ園で、シャカ族の王子として誕生されました。本名はシッダールタ(目的を達成した者)ですが、ふつうはお釈迦様とお呼びしています。

 

お釈迦さまが誕生されたのを見て、竜は天から降りて香り高いお湯と水を灌いで産湯につかったといわれています。
その後、お釈迦様は立ち上がり、七歩歩いて右手を天に、左手を地に「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」ととなえられたと伝えられています。七歩の内、六歩は六道輪廻の世界、さらに一歩進んで七歩歩かれたのは解脱(さとり)意味しています。(参照:インド仏跡ガイド 桜井俊彦著 法蔵館)

 

ムラガンダクィー寺院の釈尊降誕図(※インド仏跡巡礼の旅 第5日目にて)

天上天下唯我独尊とは、私たち一人一人の存在は非常に尊い存在でありかけがえのないたった一つの命をもっているということです。我とはお釈迦様お一人のことではなくすべての人々が尊い命をもっているということを教えているのです。

午前11時より、瑞雲寺本堂にて降誕会の法要を執り行いました

涅槃会と今年の干支

2023.02.15 Wednesday

2月15日はお釈迦様がお亡くなりになられた涅槃会(ねはんえ)でした。お釈迦さまは、常に自分を省みず人の為に法を説かれ、ご生涯をクシャナーラの沙羅双樹(さらそうじゅ)のもとで命をとじられました。

 

瑞雲寺の涅槃図

 

お釈迦さまがお亡くなりになられた光景を絵にしたのが涅槃図です。涅槃会というお釈迦様の御命日にあたり、午前10時より瑞雲寺本堂において法要を執り行いました。

 

今年の干支である卯(うさぎ)を探してみました。

 

涅槃図に描かれたうさぎ

節分と立春

2023.02.04 Saturday

昨日は節分で今日は立春でした。節分は季節の節目ということで年に4回(立春・立夏・立秋・立冬)ございます。境内の日当たりのいい場所にある梅の木に花が咲いているのを見つけました。

 

春を感じさせる梅の開花

 

昨日17時の梵鐘を鳴らし終えた後、瑞雲寺本堂に於いて豆を供えての御祈祷。その後、各部屋ごとに「福は内」という掛け声とともに豆をまきました。

 

升に入った豆

 

瑞雲寺の豆まきでは「鬼は外」とは言わず「福は内」とだけ言って豆をまいています。理由は住所が鬼の一文字が入っている鬼形だからです。そもそもなぜ鬼形という地名かと申しますと、金龍山の左側に鬼形山という山があります。その鬼形山の頂上には鬼石という大きな花崗岩があることから鬼形となったようです。

 

鬼形山の鬼石

 

鬼形山頂上にある三角点

 

鬼形山からの眺め(※2015年、なら枯れの伐採された後に撮影)

高祖降誕会

2023.01.26 Thursday

今日は高祖(こうそ)降誕会(ごうたんえ)でした。

 

降誕会とは大本山永平寺(※福井県)をお開きになられた道元禅師さまが誕生された日を祝う法会(ほうえ)のことをいいます。道元禅師さまは鎌倉時代の1200(正治二)年1月26日(陰暦1月2日)京都で誕生されました。

 

道元禅師は1月26日にお生まれになられました。

 

道元禅師さまが、仏の教えを学ぼうとされたのは、8歳のころ起居を共にしていた母親の死がきっかけでした。亡き母にたむけられた香煙の立ちのぼっては消えていく様子をきっかけに、仏道の世界へ心を傾けられていきました。

 

手を合わせる幼少の道元禅師

 

修行に励んでいるうちに、「人々は、生まれながらにして仏であるならば、なぜ仏に成る為の修行をするのか?」という疑問を持たれ、解決する為に建仁寺で禅風を学び、二十四歳の時に宋に渡り、如浄禅師に師事、二十八歳で帰国して曹洞宗の礎を築かれました。

 

天童山の如浄禅師の元で御修行

 

瑞雲寺では道元禅師様の降誕を祝い11時にお供え物を供え法要を行いました。

どんと祭

2023.01.14 Saturday

午後5時の梵鐘を鳴らし終えた後、年縄・松飾り・古いお札などを注連縄で縛り、今年一年皆様が無事に過ごせますよう瑞雲寺境内にてお焚きあげしました。例年ですと、周りに雪があったり、冷え込んでいたりと寒いイメージのあるどんと祭ですが、今年は風も無く穏やかでした。

 

成道会

2022.12.09 Friday

昨日の12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた日「成道の日」でした。
成道(じょうどう)というのは、「仏教の修行を完成し、悟りを開くこと」という意味です。

瑞雲寺ではお釈迦さまの悟りの日に因み、成道会(じょうどうえ)という法要をいとなみました。お釈迦さまが悟られた成道の日が大切なのはもちろんの事、悟りに到るまでの過程も大切であると思います。

お釈迦さまが生きていた当時の修行法には二種類ありました。それは坐禅瞑想して精神を統一する禅定。もう一つは断食(食を断つこと)などによる苦行です。

はじめ、お釈迦さまはある二人の仙人のもとで禅定の教えを受けていました。禅定に入っている時は不安や悩みを克服できても、一旦禅定から離れると、心に不安が戻ってくるのでした。

そのようなわけでお釈迦さまは、もう一つの修行法である苦行の道(断食:食を断つこと)に入りました。目は窪み、あばら骨が一つ一つ数えることができるほどに痩せ、肌の色はくすみ生きているとは思えない程だったといいます。

驚くことにお釈迦さまは、このような苦行を6年間も命がけで修行されていました。しかし、この苦行はお釈迦さまが思っている問題を解決するには到りませんでした。苦行は、肉体を苦しめ心に平安をもたらすどころか、ますます乱すものだったのです。

結局、苦行とは出家以前の享楽的な生活のもう一方の極端にしか過ぎないことに気づき、6年間の苦行を思い切って捨てる決意をしました。6年もの真剣に修行してきた苦行という積み重ねを捨てるというのはよほどの勇気がないとできるものではありません。

 

苦行するお釈迦様 「ブッダ」仏教伝道協会の紙芝居より

 


6年もの苦行を捨てるという大決意をされたお釈迦さまは、河の流れに身を清め、村の娘スジャータの乳粥の供養を受け体力を徐々に回復しました。そして、ブッダガヤの菩提樹という木のもとで、坐禅に入ります。悟りを開くまでここを動かないと決意し8日目、明けの明星を仰いだ時にお悟りを開き、仏陀(ブッダ)となられたのでした。

 

菩提樹でのお悟り 「ブッダ」仏教伝道協会の紙芝居より

 

 

お釈迦さまのお悟りが無ければ、仏教は成り立ちませんでした。約2500年経った今でもお釈迦さまの教えを学ぶことの有難さに感謝して日々弁道精進していければ思います。