今日8日は、お釈迦様がお悟りを開かれて仏陀(ブッダ)となられた日で、成道会(じょうどうえ)と呼ばれております。成道とは道が成ると書いて仏道を成就してお悟りを開いたという意味です。
お釈迦様はシャカ族の王子としてお生まれになりました。何一つとして不自由のない生活を送られていたのですが、生きとし生きるものの悩みや苦しみを救う道を求めて29歳の時に城を出て、難行苦行の生活に入られました。
当時の修行法には二種類ありました。それは坐禅瞑想して精神を統一する禅定。もう一つは断食(食を断つこと)などによる苦行です。
はじめ、お釈迦さまはある二人の仙人のもとで禅定の教えを受けていました。禅定に入っている時は不安や悩みを克服できても、一旦禅定から離れると、心に不安が戻ってくるのでした。
そのようなわけでお釈迦さまは、もう一つの修行法である苦行の道(断食:食を断つこと)に入りました。目は窪み、あばら骨が一つ一つ数えることができるほどに痩せ、肌の色はくすみ生きているとは思えない程だったといいます。
仏陀苦行像(ラホール博物館)
驚くことにお釈迦さまは、このような苦行を6年間も命がけで修行されていました。しかし、苦行はお釈迦さまが思っている問題を解決するには至らず、肉体を苦しめ心に平安をもたらすどころか、ますます乱すものだったのです。
そんなある日、近くを流れている川のほとりを一人の青年が美しい声で歌を歌いながら歩いておりました。
弦(つる)が強けりゃ強くて切れる
弦が弱けりゃ弱くてならぬ
しめずゆるめず調子を合わせ
手ふり足ふりリズムに踊れ
この歌はお釈迦様にとって救いでありました。苦行とは出家以前の享楽的な生活のもう一方の極端にしか過ぎないことに気づき、6年間の苦行をいっさい捨てる決意をしました。真剣に修行してきた苦行という積み重ねを捨てるというのはよほどの勇気がないとできるものではありません。
苦行を捨てるという大決意をされたお釈迦さまは、河の流れに身を清め、村の娘スジャータの乳粥の供養を受け体力を徐々に回復しました。そして、ブッダガヤの菩提樹という木のもとで、坐禅に入ります。悟りを開くまでここを動かないと決意し8日目、明けの明星を仰いだ時にお悟りを開き、仏陀(ブッダ)となられたのでした。
ブッダガヤの大塔(高さ52メートル)
菩提樹
インドのムラガンダクィー寺院の壁画
お釈迦さまのお悟りが無ければ、仏教は成り立ちませんでした。約2500年経った今でもお釈迦さまの教えを学ぶことの有難さに感謝して日々弁道精進していきたいものです。