インド仏跡巡礼の旅 番外編

2016.08.16 Tuesday

インド仏跡巡礼の旅番外編では、私がインドに関して興味を持ったものを写真で紹介したいと思います。

 

 

瑞雲寺のヒンズーの神々

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真ん中が韋駄天さん(スカンダ)、左が聖天さん(ガネーシャ)、右が大黒さん(マハーカーラ)

インドのトイレ

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ホテルのトイレ

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観光地のトイレ(紙は無い)

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前正覚山にある扉・天井無しトイレ

インドの自動車

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マルチスズキのスイフト

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マヒンドラ社のスコーピオ

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名前はわからない

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TATAのトラック

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マヒンドラ社のスコーピオ(新型)

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同じくスコーピオ(新型)

インドの乗り物

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オートリクシャ―

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客を乗せる自転車

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バイク


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トラクター

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三輪バイク

 

以上、インド仏跡巡礼の旅番外編でした。

インド仏跡巡礼の旅 第7日目(2月21日)

2016.08.08 Monday

インドの高速道路(アグラ〜ニューデリー)

専用車で高速道路を利用し、インドの首都デリーに向かう。高速料金が高いせいかあまり車が走っていない。だが、自転車が走っているのはどういうわけだろうか。インドという国は謎だ。日本の常識で考えない方が良いのかもしれない。

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アグラ〜ニューデリー

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高速道路に自転車

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パーキングエリアでトイレ休憩

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高速道路から見えた建設中のマンション

ニューデリー市内

草原のような風景から徐々にデリーに近づくにつれ建設中のマンションが多くなってきた。料金所を過ぎ、デリー市内に入ると車の数がぐっと増える。ホーンを鳴らすのを規制している為か、地方と違って静かだが、追い越す車を見ていると運転は相変わらず荒い。

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ニューデリーの道路

市内で信号待ちしていると、フルーツを持った子供、風船売りのおじさん、変わったところでは女装したごつい男が何かをしている。聞く所によると喜捨を求めているとのことだが、インドは自分の予想を裏切る点で全く飽きない国だ。

 

歩道を見ると、少年が帽子に付いた紐をブンブンとまわし肩が柔らかいという芸を見せている。車が動き出してもなお、走りながら芸をしている少年にインドへ来てはじめて喜捨したいと思った。しかし専用車の窓は鍵が無く開けられない。しかたがないので、少年に向かって手を振ったら、笑顔で返してくれた。

世界遺産クトゥブ・ミナール

昼食を食べた後、クトゥブミナールを見学。かなり大きな塔で、高さ72.5メートルに及ぶ。昔は上まで行けたそうだが今は保護のためダメだという。塔の先端と飛行機が飛んでいるツーショットの撮影ができるなど、なかなかいい所だ。この塔の他に園内には錆びない鉄柱があり、記念撮影を行った。

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昼食を食べたレストラン

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クトゥブミナール

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1199年に造られたという。凄い技術だ。

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錆びない鉄柱

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文字が彫られていた。

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錆びない鉄柱とクトゥブ・ミナール。どちらも凄い技術だ。

デリー国立博物館

今日は日曜ということもあり、来館者がかなり多く、やっとのことで入場することができた。一人一人には日本語で案内するヘッドフォンが貸し出される。展示物の横にある番号を入力すると案内する仕組みだ。館内は撮影が自由だが発光は禁止。

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デリー国立博物館

ジャイナ教の像、ヒンドゥーの神像を見ていると、日本の観音観世音菩薩立像は明らかにインドから伝わったことがこの博物館に来館して理解することができた。興味を持ったのはシャンカ(法螺貝)を持った像が意外と多かったことだ。また、ピプラワ出土のお釈迦様の舎利(※お骨)に手を合わせることができたことは、遠い日本から来たかいがあったというものだ。

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お釈迦様

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ヒンドゥーの神像

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ヒンドゥーの神像

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左手にシャンカ(法螺貝)を持っている。

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こちらは坐像の下にシャンカ(法螺貝)

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舎利塔(お釈迦様のお骨が収められている)

舎利近くにはチベット密教の仏具・宝具がありシャンカ(法螺貝)やティンシャ、トランペットのようなものが展示されており、一度吹いてみたい思いに駆られた。一番印象に残ったのは、お釈迦様の一生が象牙に彫られている展示物で、一場面一場面がとても細かく彫られている。寺にも一つ欲しい所だが、写真撮影だけにとどめた。

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シャンカ(法螺貝)

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チベットのトランペット

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ティンシャ

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お釈迦様の一生が象牙に彫られている。

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スジャータの供養

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成道

最後は日本食レストラン

博物館見学も終わり、インドの旅行も終わりに近づいてきた。最後は日本食レストランに入る。締めは日本食ということだ。店内はインド人が結構いる。ビールは腹を壊しかねないので養生してマンゴーラッシーを頼んだ。店内に流れる二胡による日本の曲が郷愁を誘い、この一週間の旅行が走馬灯のように思い出す。お腹を壊したり、車で600キロの移動があったりというトラブルもあったが、とても楽しい旅行だった。

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インドの凱旋門

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日本食レストラン「フジヤ」

インドから日本へ

日本食レストランを後にしデリー空港に到着、ジャマールさんとお別れだ。一週間という長丁場でガイドをして頂いた。デリー空港で出国の手続きを行う。パスポートの検査では「ナイスガイ」と言われ「ユートゥー」と返した。冗談でもこういうやり取りが楽しい。無事、手続きが終わり出発までの約2時間、免税店でお土産を買う。値段を見ると結構な値段がする。ちょっと値は張ったが仏像とガネーシャ像(※ともに5センチぐらい)を購入した。

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インドから日本へ


出国は夜中の1時25分。帰りはジェット気流の関係で約7時間で成田空港に到着。昼食を食べた後、入浴していなかったので、空港内にあるシャワーを借りて時間を過ごす。

 

18時30分、成田空港から仙台空港へ。19時40分、仙台空港に到着。その後、皆さんとお別れして車で帰宅。日本に帰ってきての第一印象は、とにかく道路が綺麗だということだ。丸森の田舎道でもゴミがほとんど落ちていないことに驚いてしまった。当たり前だと思っていたことが、実は素晴らしいことなのだと旅行から帰って気づいた。

インド仏跡巡礼の旅 第6日目(2月20日)

2016.08.01 Monday

徹夜明け

午前8時、約10時間かけてアグラの町に到着。車で進んだ距離は約600km。丸森からだと名古屋に行けるぐらいの距離だ。車の椅子は腰が痛くならない点で行きの飛行機よりも良かった。外を見ると乾季のインドでは珍しく小雨が降っていた。

ホテルでチェックインし、遅めの朝食を食べる。シャワーを浴び、11時まで体を休めた。車の中では全く寝ることが無かったので、短時間だが休むことができた。12時にホテルのロビーに集合し、カレーの専門店へ行く。店内を見回すと日本人客が結構多かった。


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ベナレス〜アグラ

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徹夜明けの車内

外を見ると、乾季のインドでは珍しく雨が降っていた。

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無事にホテルに到着。600kmの道のりを見守ってくれたヒンドゥーの神様(ドゥルガー神)

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昼食はカレー専門店

世界遺産タージマハル

休日のせいかバスから降りると人が凄い。迷路のような仕切りに入り順番待ちをする。入口では厳しいボディチェックがあり、自分のリュックが引っかかってしまった。係員が言うにはリュックを外のロッカーに預けてくれとのこと。どうしようか考えているうちに、突然お腹が痛くなってきた。嫌な痛みだ。原因は、おそらく徹夜した疲れと昼食のカレーのスパイスのせいだろう。

とりあえず門の外に出て土産物店のトイレを借りる。店員にお土産を買わないとダメだと拒否されるが、お腹が痛いとジェスチャーするとすんなり入れてくれた。こういう時は言葉よりも気迫のジェスチャーが必要なのだ。何とかお腹の痛みも収まり、最後に店員にチップを手渡し店を後にした。ちょうど店から出た所でAさんに見つけてもらった。帽子を被っていたから見つけやすかったとのこと。まさに奇跡。その後、ガイドのジャマールさんと合流し、荷物を有料ロッカーで預けてもらうことができた。


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世界遺産タージマハル

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タージマハルをつまんでみる。撮影の定番らしい。

再入場し、世界遺産のタージマハルを見学。白い大理石でできた廟へ行き、内部に入るために長蛇の列に並ぶ。ちょっと進んでは立ち止まりを繰り返しているうちに再びお腹が痛くなってきた。内部を見ることをあきらめ、階段を降ろうとするが、人が多すぎてなかなか降りられない、飛び降りようとしたが約5メートル位の高さがある。出口を見つけようやく階段を降りたところでトイレを目指す。お腹が痛い状態で歩くというのはとても辛く、トイレが遠く感じた。

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タージマハルの後ろ

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タージマハルの後ろの川、ヤムナー川。
よりによって、トイレからいちばん離れている場所でお腹が痛み出した。

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森の向こう側にトイレがあるとのこと。

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タージマハルの後ろからトイレまでかなりの遠さだ。

ようやくたどり着き、チップを手渡して中に入るが、ターバンを巻いたおじさん二人が並んでいる。万事休す。汗だくでお腹の痛みに耐えている私の姿を見てトイレを譲ってくれた。

ようやくお腹の痛みも収まった。再びタージマハルの廟内に行こうと思ったが、お腹が痛くなるのを恐れて近場を散策するにとどめた。その後、指定の待ち合わせの場所でみんなと合流。


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トイレ入口

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トイレ入口付近から見たタージマハル。トイレが遠すぎる・・・

世界遺産アグラ城

敵の侵入を防ぐために造られた赤茶けた砂岩の壁と幾何学模様が素晴らしい。これらの模様は、生地のデザインにも使用されているとのことだ。

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世界遺産のアグラ城

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敵を登らせないような造りになっている。

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幾何学模様が素晴らしい。

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生地のデザインにも利用されている。

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とても細かい彫刻

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透けて見える模様も全部石でできているとのこと。

タージマハルが見える窓あたりから再びお腹が痛み出した。どうやらタージマハルは自分のお腹を刺激するようだ。ガイドのジャマールさんにトイレに行くことを伝え、岩手のお坊さん(※何度もインドに旅行に来ているインド通)に連れられて早歩きで向かった。

あまりに広い城内のため、道を間違ってしまい出口を出てしまった。入口の係員にお腹が痛いことを話し再入場。何とかトイレに入ることができた。


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遠くに見えるタージマハル
よりによって、トイレから一番離れている場所でお腹が痛み出した。

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迷路のようなアグラ城。

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アグラ城のトイレ。城壁と同じく赤い砂岩で出来ていた。

 

 

今日は体力的精神的に辛い6日目だった。

インド仏跡巡礼の旅 第5日目(2月19日)

2016.07.25 Monday

ガンジス河

ガンジス河の沐浴風景を見るために早く起きる。ヘッドライトと防寒着を着てバスに乗り込んだ。バスから降りると外は結構寒い、道路にはボロの布をまとった老人、牛、沐浴に向かう人々、色んな人が歩いている。

牛の糞に気をつけながら町を通り過ぎるとガンジス河が見えてきた。夜明け前にもかかわらず凄い人出だ。ガンジス河での沐浴は薄暗い早朝でないとダメだという。昼間の沐浴では意味が無いらしい。

階段を降りて小船に乗り込む。遠くに火が燃えているのが見えた。ガイドの話だと火葬しているのだという。洗濯をしている人、沐浴する人、土産を売る人、火葬する人、それがガンジスの日常なのだ。


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ガンジス河に通じる道を歩く

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ガンジス河を船で観光

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夜明け前というのに人がたくさんいた。

 

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河上の魚売り。魚を買って逃がせば功徳を積むことができるという。日本にも放生会(ほうじょうえ)という祭がある。

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一生懸命船を漕ぐ二人

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沐浴をする人

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日の出前のガンジス河

Uターンして、東の空から梅干しのような太陽が見え出した。地平線から昇る太陽を見たのは生まれてはじめての経験だ。しばしの間、ガンジスの朝日に感動していると、小舟が向かってきた。お土産を売る売り子の舟だ。鈴とガネーシャ像2体が欲しかったが、言い値が結構高かったので300ルピーから150ルピーにまけてくれと言ったら何とかなった。さらにおまけをしてくれと言ったら水を入れる器をくれた。ガンジスの水を入れて持ち歩くとお守りになるらしいが、どう考えても漏れそうな器だった。小舟から降りて、バスのある所に向かう途中、物乞いの親子がついてきた。きりがないので無視をして歩を進め、ホテルに戻るバスに乗った。

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ガンジス河の朝日

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朝日に照らされる建物

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金色に輝くガンジス河

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ガンジスの水を入れる器

初転法輪の地サルナート

午後、ホテルを出てベナレス郊外の釈尊初転法輪の地、サルナートを観光する。釈尊が初説法する為に五比丘が設営した迎仏塔を見学した後、6世紀のグプタ王朝期に造営されたというダメーククストゥーパを見学。入口の門には初転法輪の地に相応しい黄金の輪宝が取り付けられているのが印象的だ。園内ではアショカ王柱を見学。メインであるダメークストゥーパは修復されているが、所どころに残っている手の込んだ幾何学模様が当時の仏教の隆盛を物語っていた。

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五比丘に説法をする仏陀(瑞雲寺本堂にある絵)

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迎仏塔

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入口の門にあった転法輪

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アショーカ王の石柱

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ダメークストゥーパ

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仏塔群

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ダメークストゥーパとムラダクィー寺院

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ぐるっと回れるようになっている。

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ストゥーパ壁面に残されている彫刻

初転法輪寺(ムラガンダクィー寺院)

外に出ると売り子の攻勢に晒された。特に、シンキングボウルを持って「ヴゥーン」と客の気を引き、目が合ったら最後、近づいて来てこれを買えという。昨日買ったからいらないと断ったが、音を聴くとまた買いたくなってしまうところが自分の悪い癖だ。そんな買いたい欲望を抑えてスリランカのお寺、ムラガンダクィー寺院を見学。

入口付近に吊るされている梵鐘には梵字が彫られてインド風であるが紀年銘を見ると昭和七年とあることから考えて、日本人がこの寺院に寄付したようだ。

寺院内には釈尊の誕生から涅槃までの絵が壁一面に描かれている。何となく見覚えのある懐かしい絵だと思ったら、この壁画を模したものを、かつて瑞雲寺本堂に掲げていた記憶が鮮やかに蘇ってきた。この壁画は野生司香雪(のすこうせつ)という画家が戦前に描いたものだと説明板にあった。

その後、「幸子の店」という数珠を売る店に入る。菩提樹の実でできた数珠を購入。


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スリランカのお寺、ムラガンダクィー寺院

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入口に吊るされている梵鐘

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梵鐘の紀年名には昭和七年九月吉祥日とあった。

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本堂正面のお釈迦様に手を合わす

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本堂壁面にはお釈迦様の一生が描かれていた。

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スジャータの供養

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成道

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涅槃

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四年かけて壁画が完成したことを伝える説明板

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幸子の店外観

ベナレス郊外のムファールサライ駅へ

寝台列車に乗るために、ベナレス郊外にあるムファールサライ駅に向かう。19時47分発の寝台列車に乗る予定が、なんと12時間遅れているという。いくらインドでも12時間は無いだろう。何かあったに違いない。ここまで来たら急いでもしようがないので、せめて駅の雰囲気だけでも味わいたいということで、駅構内を見学。列車は遅れに遅れているらしく、切符売り場の前では横になっている人が大勢いた。結局、寝台列車には乗らず、車で次の目的地へ向かうことに決定。その後、夜通し約600キロを進むことになった。

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ムファールサライ駅

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列車が遅れて寝ている人がいる駅構内

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本来ならここから寝台列車に乗る予定だった。

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寝台列車に乗れなかったが駅構内を見学できて良かった。

12時間寝台列車が遅れた原因は、インド北部のハリヤナ州で暴動があったらしいとのこと。おそらく12時間待ったとしても列車は来なかったと思う。以下は日本に戻った時に読んだ産経新聞の記事である。
 


インドのカースト暴動 死者19人に スズキ操業再開めど立たず
 
インド北部ハリヤナ州で、伝統的身分制度「カースト」の多数派集団が起こした暴動で、22日までに地元住民少なくとも19人が死亡、150人以上が負傷した。地元警察が明らかにした。当局は治安部隊を動員して暴動を鎮圧しており、一部の道路封鎖は解除された。
 
インド自動車最大手のスズキ子会社マルチ・スズキが部品を搬入できず、20日から2工場を操業停止しており、再開のめどは立っていない。同州には日系企業が500近くの拠点を設置、操業に影響が出ている企業が複数ある。
 
暴動を起こしたのはハリヤナ州で多数派の、もともと農業をなりわいとする「ジャット」と呼ばれるカーストの集団。高速道路を封鎖したり、鉄道駅や商店などを焼き打ちしたりして混乱が広がった。道路封鎖により、隣接する首都ニューデリーの一部地域は給水や物流が止まるなど打撃を受けている。(共同)
 
産経新聞社 2016年2月23日版


スズキ、インドの工場再開 3日ぶり
 
 インド北部ハリヤナ州で起きた暴動のため、工場の操業を停止していたスズキの子会社で印最大手のマルチ・スズキは23日、工場を3日ぶりに再開した。停止していたのは同州マネサールとグルガオンにある2工場。幹線道路が封鎖され、部品の供給が受けられなくなっていた。暴動は沈静化の方向だが、一部地域では23日も続いた。略奪や放火による経済的損失は3400億ルピー(約5600億円)に上るとの推計もある。(ニューデリー 岩田智雄)
 
産経新聞社 2016年2月23日版



600km先のアグラへ

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夜中に立ち寄った食堂

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ベナレス〜アグラ

インド仏跡巡礼の旅 第4日目(2月18日)

2016.07.21 Thursday

お釈迦様お悟りの地ブッダガヤ

釈尊成道の地であるブッダガヤにバスで向かう。バスから降りる前に余計な荷物を持っていかないようにとガイドから注意があった。カメラは一台につき100ルピー徴収されるとのことで、自分の場合は2台持って行ったので200ルピー出すはめになった。ボディチェックを受け園内に入る。

釈尊は6年間の苦行を捨て、尼蓮禅河で沐浴された後、スジャータという娘に乳粥の供養を受け体力を回復。そして、ブッダガヤの菩提樹の元で、12月8日に悟りを開かれた。仏教の最大の聖地だけあって各国の僧侶、信者の参拝客が大勢いる。大塔の前では持ってきた小さな法螺貝を吹いた。


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スジャータの供養(瑞雲寺本堂にある絵)

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成道(瑞雲寺本堂にある絵)

 

憧れの地、ブッダガヤ

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供養の花を売る人

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ボディチェックのある入口

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ムチリンダ竜王像のある蓮池

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ブッダガヤの大塔(マハーボディ寺・大菩提寺)

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大塔の高さは52メートル。2002年に世界遺産に登録された。

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彫刻が凄い

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大塔の下部の仏像には花で作った首飾りがかけられていた。

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金剛宝座と菩提樹

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菩提樹前にはたくさんの信者たちが読経をあげていた。

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仏足石

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鍵がかけられている為、隙間から菩提樹と金剛宝座を拝見する。

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大塔内部に収められている仏像

出口を出てバスへ戻る途中トイレ休憩していると、売り子達がぞろぞろやってきた。仏像が印刷された金色の下敷き、菩提樹の葉、数珠、絵葉書などなど。中でも気に入ったのは布に拓本された仏足石だ。1枚100ルピーにまけてもらう。500ルピーを渡すと、ここで待っててくれとのこと、売り子が戻ってくるとおつりは300ルピーだった。もう一枚あげるから勘弁してくれとのこと。インド人は商売がうまいと思った。

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布に拓本された仏足石

尼連禅河付近のストゥーパ

ブッダガヤを後にし、尼連禅河の近くにあるストゥーパを見学。遠くには釈尊が苦行された前正覚山がラクダのこぶのようにそびえているのが見えた。ストゥーパを右回りで一周し、バスの中へ。

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ストゥーパ

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日陰では犬が昼寝をしていた。

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遠くに見える二つのこぶは前正覚山

印度山日本寺

ブッダガヤにある日本寺を参拝。この日本寺は1973年国際仏教交流協会によって建立された。本堂内で読経を行い、インドに来た喜びを仏様に申し上げた。境内に隣接する保育園を廊下越しに見学、カメラを向けると笑顔で返してくれた。

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印度山日本寺の門

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日本的な建物になっている。

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日本寺の額

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本堂正面

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天井の真ん中には法輪が描かれている。

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本堂の周りには、お釈迦様の一生が描かれていた。

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ストゥーパのように本堂を一周できるように作られていた。

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寄付をされた方々の名前が彫られている。

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境内にある幼稚園

ホテルスジャータ

午後、ホテルスジャータで食事をした後、土産物店で法螺貝(シャンカ)とシンギングボウルを購入。シンギングボウルに関しては全く興味が無かったが、神秘的な音色に惹かれて購入することに決めた。

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お釈迦様の一生が彫られた木のレリーフ

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手前のシンギングボウルと法螺貝(シャンカ)を購入

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日本人が多いのだろうか?

245km先のベナレスへ

ホテルスジャータを出て、約245キロ先のベナレスへバスで移動。途中、トイレ休憩が何回かあった。雄大な風景の中での立小便はなかなか気持ちのいいものだ。(※日本のように道の駅や公衆トイレといったものは無い)

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インドの荒野

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ベナレスに向かう道路

恐怖、道路の逆走!

ベナレスに近づくにつれガンジス河の橋上は渋滞が酷く、ついに運転手は逆走し出す。対向車のライトが当たるたびに怖かったが、インドでは結構多いらしい。

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逆走中

無事に到着

車にぶつかることなく逆走し、19時半にベナレスのホテルに到着。

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命があって良かった〜

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ブッダガヤ〜ベナレス

インド仏跡巡礼の旅 第3日目(2月17日)

2016.07.17 Sunday

霊鷲山(りょうじゅせん)参拝

巡礼の旅も3日目。午前4時45分に起きる。ヘッドライトをリュックに入れロビーに集合、霊鷲山に向けてバスに乗り込む。霊鷲山は釈尊が晩年に止住説法された山で、拈華微笑の話で有名だ。暗くて急な石段をヘッドライトで照らしながら進む。

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ヘッドライトを頼りにビンビサーラ・ロードを進む。

ビンビサーラ・ロードとはマガダ国のビンビサーラ王がお釈迦様の説法を聴くために整備した道。

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道の途中から見えた霊鷲山

途中休みを入れながら霊鷲山に到着。色とりどりの旗が風にはためいている様は聖地にふさわしい。
2人の管理者以外に人がいないことから、どうやら私たちが一番乗りのようだ。日中はたくさんの人がいるらしい。四角に囲まれた煉瓦の奥には黄金の仏像に花輪、カラフルな布が収められていた。入口で靴を脱ぎ、香炉に線香一本立て、黄金の仏像前に布施をした後、手を合わせ三拝した。


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夜明け前、カラフルな旗がはためいていた。

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岩と岩が重なる修行窟で僧たちは坐禅を組み修行に励んだ。

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霊鷲山という名前の起源となった岩。鷲の嘴に似ている。

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霊鷲山頂上の釈尊説法台跡

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たくさんのお供え物

頂上付近に生息している猿を観察していると、東の山から朝日が昇り始める。
思わず手を合わしたくなるような朝日だった。


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まるで絵のような朝日

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お猿さんも朝日を見ているかと思いきや・・・

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袋を開けてお菓子を食べていた。

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ビンビサーラロードを霊鷲山頂上から見下ろす

霊鷲山をあとにし、石段を降るにつれ、しつこい売り子が多くなってきた。
まるで私たちはハイエナに狙われた獲物のようだ。数珠や絵葉書などなど、でたらめな日本語で買え買えとの攻勢が凄い。


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下りのビンビサーラロード

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お土産売りにつかまってしまった。

竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)

バスに乗り込み竹林精舎に向けて出発。ここはマガダ国の王ビンザサーラが釈尊に寄進した仏教世界最古の寺院跡である。竹林精舎ということだけあって竹が繁茂していた。バスに戻る途中、他の外国人と一緒に記念撮影をする。こういう交流もなかなかいいものだ。

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竹林精舎入口。精舎とは、出家した修行者が住むお寺という意味。

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沐浴する池(カランダカ池)

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塚の後ろには竹が繁茂していた。

ナーランダ大学跡

ホテルに戻って朝食、その後、玄奘三蔵が学んだとされるナーランダ大学跡を見学する。
跡内は5月上旬のような陽気でとてもすがすがしい。各国のお坊さんが見学に来ており、中には専属のカメラマンに撮影をしてもらっている方もいた。自国に戻ったらパンフレットに用いるのだろうか。


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ナーランダ大学跡入口。ナーランダとは、池に住む龍の名前。

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ナーランダ大学跡へ通じる並木道

煉瓦で積み上げられたナーランダ大学は、当時は三階もの高さがあったという。一人一人修行された部屋の跡を見て当時の隆盛さが煉瓦を通して伝わってくるようだ。ジャマールさんの話では、この大学にあった書籍は全部燃えてしまったとのこと、本当に残念に思う。今でも残っていれば仏教の中心地であったことは間違いないであろう。玄奘三蔵が、このナーランダから経典を中国に持ち帰ったおかげで仏教が日本にも伝わったことを考えると感慨深いものを感じた。

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ナーランダ大学跡

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インドの2月は過ごしやすい。

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気持ちよさそうに昼寝している犬

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仏塔群

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僧院跡?

祭壇らしき場所では、黒い服を着た人たちが読経されていた。

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僧院跡?

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玄奘三蔵

その後、ナーランダ大学近くにある博物館を見学。こじんまりとした博物館で、地元の子供たちが自由に出入りしていた。

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博物館入口

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ナーランダ大学跡入口付近の土産物店

ビンビサーラ王牢獄跡

ホテルに再び戻って昼食を食べる。午後1時過ぎに前正覚山に向けて出発。途中、ビンサーラ王が幽閉されたという牢獄跡を見学。ここから、霊鷲山と日本山妙法寺建立の白い仏塔が見えた。白い仏塔は霊鷲山の左上に建てられており、海外旅行者のランドマークになっていた。

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ビンビサーラ王牢獄跡と霊鷲山

高知県仏教青年会の方々が建てたお堂を参拝

その後、荒野という名にふさわしい石と茶色の土の風景が続く道路を進み、高知県仏教青年会の方々が建てたお堂を参拝。バスに戻る途中、あまりいなかった子どもたちがいつの間に増えてびっくりする。観光客が珍しいのだろう。

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このお堂は高知県仏教青年会二十周年の記念事業として建てられた。

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お釈迦様

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寄進された寺院名が書かれていた。

 

前正覚山へ行く道の風景

前正覚山の留影窟

4時ちょっと前に前正覚山に到着。ここは釈尊が悟りを開く前に洞窟内で6年もの間、苦行されたところだ。
駐車場付近には、バイクやカゴの人がたむろしている。まるで暴走族。とにかく乗れ乗れとうるさい。岩手のお坊さんはバイクに乗りたかったようで、ブーンと颯爽と登って行った。私たちはバイクやカゴに乗らず、ゆっくり歩いて登って行くことにした。

ここも有名な聖地なので各国のお坊さんや信者がとても多い。
頂上には霊鷲山と同じく色とりどりの旗がはためいており、まるで聖地だと主張しているようだった。ここはチベット仏教のお坊さんたちが管理している。洞窟内に入り、布施をした後、手を合わせて参拝。

釈尊はこの洞窟では悟りは開けなかったが、ここでの苦行が無ければ、悟りはおろか仏教は無かったに違いない。修行に無駄なことは無い、すべてが繋がっているものだと理解した。


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バイクに乗れとうるさい

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結構急な道を歩く

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カゴを利用する人

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カラフルな旗がはためく前正覚山

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お釈迦様が苦行された洞窟、留影窟

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仏陀苦行のプレート

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下を覗くと崖が見える怖いトイレ

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前正覚山から見た風景

尼蓮禅河

バスに乗り込み凸凹道を進み尼蓮禅河に向かう。土手の片隅に路駐しバスから降りると、河原の奥にはブッタガヤの大塔と夕日が見えた。

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尼蓮禅河(※乾季の為、水が無い)

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ブッダガヤの大塔と夕日

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ラジギール〜ブッダガヤ

インド仏跡巡礼の旅 第2日目(2月16日)

2016.07.14 Thursday

ホテルをチェックアウト

6時に起きてシャワーを浴びる。7時にバイキング形式の朝食。パンとカレーらしきものを食べる。なかなかおいしい。出発前、ホテルの周囲を散策し、8時30分デリー空港に向かう。


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出発前、ホテル(アショカカントリーリゾート)入口にて

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入口の横にあった古い車

ゴーエアー機でパトナへ

10時35分、ゴーエアー機でパトナへ。
12時15分に到着、空港入口にはたくさんの人がいてびっくりする。インド人の視線を避けながら、空港に隣接しているレストランに入り昼食。ナン(ピザの生地のようなもの)にカレーをつけて食べる。この程度の辛さなら大丈夫のようだ。なぜなら大河原のCOCO壱で4辛を食べる予行演習していたからだ。


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飛行機の窓から見た風景

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パトナの空港に到着

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空港入口ではたくさんのインド人がいた。

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空港に隣接するレストランで昼食

パトナからラジギールへ

専用車で100キロ先のラジギールへ。
バスの窓から見る町の風景が日本と全然違う。


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専用車で移動(約100km)

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インドの道路

ラジギールの町を散策

ラジギールに到着し、バスから降りて町を散策。
町の中は車のクラクションでとても騒がしい。「ププッ!パラパラ!」というクラクションは、注意を促すというよりは、自分の存在を示す音のようだ。

道の真ん中を歩いている牛は神聖な動物なので車がよけて走る。殺した者はインドでは死刑だそうだ。

衝撃的だったのは売っている魚に群がる蠅の大群。
それでもインド内部にあるラジギールでは魚が貴重な食べ物だそうだ。とにかく、人、車、動物、昆虫、自転車、建物がごちゃごちゃして、脳内がパンクしそう。17時ごろ法華ホテルに到着。


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ラジギールの町

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カラフルな糸が売っていた。

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物を運ぶバイク

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道路の真ん中を堂々と歩く牛

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騒がしい中、休んでいる犬

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お釈迦様と関係のある場所らしいが忘れてしまった。

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今日は法華ホテルに宿泊

 

ラジギール

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ニューデリー〜パトナ〜ラジギール

インド仏跡巡礼の旅 第1日目(2月15日)

2016.07.12 Tuesday

2月15日から22日の7泊8日で第6教区青年会主催インド仏跡巡礼の旅に行ってまいりました。
どのような旅だったのかについては、4月18日の観音講の祭典でパソコンを使い映像や写真を交えて講演したとおりです。今回、祭典に来れなかった方で、どのような旅だったのか知りたい方がいらっしゃいましたので、ブログで公開することにしました。なお、参加者については個人情報保護の関係より、正面からの写真や名前については遠慮させていただきます。


仙台空港から成田空港

仙台空港近くの朝日パーキングに車を置き、13時30分空港ロビーに集合。14時20分、成田空港に向けて飛ぶ。約1時間のフライトで、15時25分頃に成田空港に到着。

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仙台空港2階

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仙台空港から見える景色

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遠くに見える川は阿武隈川

成田空港からデリー空港

出国手続きを済まし、飛行機に乗り込むが、みぞれを除雪する為に出発するのに時間がかかる。だいぶ時間が経ったところでインドへ向けて飛行機が飛んだ。飛行機の座席は前後にスライドするだけで、上体を変えようにも変えられないのが辛い。約10時間のフライトでインドに着く頃には腰の痛みが酷くなっていた。

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成田空港にて

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飛行機の座席には、どのあたりを飛んでいるのか画面で見ることができる。

夜中にデリー空港に到着

翌日の午前1時30分頃、デリー空港に到着。空港の印象は茶色の印象。おそらく空港内に敷かれた絨毯のせいだろう。話に聞いていたように空港内はとても広くて綺麗だ。搭乗者が多かったせいか、入国手続きに時間がかかる。ようやく手続きも終わり、一週間ガイドをしてくれるジャマールさんと挨拶を交わした。

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真夜中のデリー空港

空港を出てバスでホテルに向かう。夜中の3時近く、ホテルに到着。部屋の鍵をもらって明日に向けて就寝。

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夜中のチェックイン

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