カンボジアスタディツアー2006 後編
2017.02.20 Monday
第4日目(2006年3月30日)
ホテルをチェックアウトする前に日本へエアメールを出して世界遺産であるアンコールワットを見学。
カンボジア王国国旗の中央の建造物はアンコールワットを正面から見た姿であり、国の象徴として描かれています。
最初に仏教の遺跡であるアンコールトムを見学。圧倒的だったのは南大門と手前の通路の両側にナーガ(蛇神)をひく54体の神々。1体1体がかなり大きな石像で2メートル位はあるかと思われ、当時の技術の高さがうかがえる遺跡となっています。
日本へエアメール
カンボジア国旗
ナーガ(蛇神)をひく54体の神々で1体が2メートルぐらいの大きさの力強い彫刻
南大門に彫られた顔
南大門を後にしてしばらくするとアンコールトムの中心建物のバイヨンです。バイヨンとはアンコールトムにある仏教寺院のことをいいます。バイヨンの回廊のレリーフは当時の生活がしのばれ、なかでもユニークだったのはお尻をすっぽんに噛付かれている場面がありました。
アンコールトムの中心建物のバイヨン
すっぽんに噛みつかれているレリーフ
中央塔に向かって登ると塔のあちこちに観音様の顔が彫られております。その穏やかな顔を見て思わず手を合わせる程です。バイヨンの中は素晴らしい壁の彫刻と観音様の穏やかな顔の宝庫でした。
観音様の顔があちらこちらに彫られています。
アンコールワットの池
池付近ではタガメが売られていました。
午後はヒンドゥー教の壮大な墳墓のアンコールワットを見学。アンコールワットは他の遺跡に比べて段違いに大きく、墳墓の面積は1.5km×1.3kmとのこと。目的地である中央祠堂に簡単に着いたらありがたみも薄れる!と自分に言い聞かせ汗を拭きながら歩きました。
途中、聖池で逆さ富士ならぬ逆さアンコールワットをめでたく見ることができました。中央祠堂の階段はかなり急な石段で、ほとんどロッククライミング状態。小さい頃がけを登って降りられなくなったことを思い出すほど怖い石段でした。
逆さアンコールワット
アンコールワット内にある江戸時代に渡った日本人・森本右近太夫の墨書き。森本はアンコールワットを祇園精舎と思っていたようで父の菩提を弔うために仏像四体奉納したそうです。墨書きには寛永九年正月三十日と書いてあるので西暦になおすと1632年です。まだ当時は鎖国をしていませんでしたので朱印船に乗って来たのでしょう。(ちなみに1635年に日本人の海外渡航と帰国を禁止するようになった。)
中央祠堂の階段。まるで壁をよじ登っているような感じで、とても怖かったです。
そろばんの珠のようなオシャレな窓
怪我はしたくないので慎重に降りました。
カンボジアの象徴であるアンコールワット見学も終わり、飛行機で再度ベトナムに入国。
再度ベトナムへ
宿泊はホーチミン市内のホテル
第5日目(2006年3月31日)
最終日、ベトナムのホーチミンで市内視察・観光。統一会堂、戦争証跡博物館、サイゴン大教会を見学。シクロという人力車に乗ってホーチミン市内を観光。バイクの波の中を行く16台のシクロの行列は龍のようで壮観でした。
バイクバイクバイク!夜はもっと凄い。
統一会堂とは南ベトナムの大統領宮殿として利用されていた建物。
屋上にはヘリポート、地下には秘密軍事基地がありました。
戦争証跡博物館には戦争で使用された戦車や大砲、爆弾の他に、枯葉剤による影響など、戦争の傷跡が数多く展示。
シクロという自転車タクシーで市内を観光。
16台のシクロの行列は龍のようで壮観でした。
サイゴン大教会は19世紀末に建てられたカトリック教会で、別名聖母マリア 教会とも呼ばれています。赤レンガの造りの美しい建物。
市内観光も無事に終わり一路日本へ。
成田空港は外気温が4度でとても寒く感じました。このツアーに参加して、都市は発展しましたが、地雷で足を失くされたと思われる方が松葉杖をつきながら歩いていたりとまだまだ戦争の傷跡が残っているなと考えさせられることが多々ありました。
23:55ベトナム空港にて空路→→→成田へ
7:25成田空港到着。解散。
最後にサンヴァット小学校で学ぶ子供達が将来カンボジアを担う人材が輩出されることを切に願うとともに、これからもサンタピアップのボランティア活動に少しでも協力できたらと思います。
(2006年作製の瑞雲寺HPより)