鎌倉山でホラ練

2010.10.23 Saturday

今日の午後、黒佐野で用事がありましたので、ついでに鎌倉山でホラ練してきました。
湿度も乾燥しており、ホラ貝がとてもよく響きました。


写真のような田んぼの風景は少なくなってきました。


いつもホラ練している岩場


牧場の脇を通って鎌倉山へ向かいます。


牛が牧草を食べていました。のどかでいいなぁ〜


鎌倉山の岩場「天狗の相撲取り場」。ここから見る風景は絶景です。


天狗の相撲取り場からの風景。紅葉はまだまだのようです。


デジカメの「ミニチュアライズ」機能で撮影。

二匹の龍、現れる

2010.10.23 Saturday

今朝6時の梵鐘を突き終わって、ふと小斉方面を見てみると細い雲が水平にたなびいているのを見てカメラで撮影。その後太陽が昇ってきて風景は急展開。霧がもくもくと出てくる様は、なにかの生き物のように感じました。いつも見る風景に沢山の変化がある今の季節がとても好きです。


細い雲が水平にたなびいている風景はとても珍しいです。


太陽が出てきて、急に霧が出始めました。


霧が金山の町を覆っているところです。
阿武隈山地を見ると霧による二匹の龍が形成されようとしています。


霧による二匹の龍の拡大図。なかなかお目にかけることが出来ない現象です!


朝日に照らされる名もなき草。(※たぶん名前はあると思います。)

第57回金山地区民大運動会

2010.10.17 Sunday

今日は、金山地区民大運動会が開催されました。
開会式では「第57回」と言っているのを聞いて、金山の歴史を感じました。

天気は、雲が多いように見えましたが、暑くもなく寒くもなくちょうど良い気候でした。
昔は、もっと寒い時期に開催されていたようです。

私が住んでいる二区は人数も足りないこともあり残念な結果となりましたが、この運動会を通して他の区との交流も深まったのではないかと思います。


金山小学校の空


運動会の1コマ

運動会が終わって午後5時の梵鐘をついた後、素晴らしい夕焼け雲を撮影しました。


瑞雲寺本堂と夕焼け雲


運動会の会場となった金山小学校方面

米一粒

2010.10.10 Sunday

今日は十月十日。漢字の十をずらして重ねると「米」という字になります。
稲刈りシーズンというのもあり「米」について書きたいと思います。

普段当たり前のように食べている「お米」。この「米」という漢字を分解してみますと、八十八という数字になります。八十八という数字は、八十八日かかってお米が出来るという意味ではなく、八十八もの手間がかかっているという意味があるそうです。機械化が進んだ今でも三十以上の手間がかかっているそうです。

私たちがお唱えする「五観の偈」(ごかんのげ)に「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る」これは、目の前にある食事は、この机にくるまで多くの人々の手数、苦労があったかを深く考え、感謝していただきますという意味です。

道元禅師様がお書きになられた『典座教訓』には、「古来、漉白水嚢(ろくはくすいのう)を置く」とあります。漉白水嚢というのは、米をといだ白水を漉(こ)す布の袋のことで、米粒などが無駄に流れ出さないようにする為のもので、たとえ一粒の米でも無駄にしなかったとあります。

今日は十月十日にあたり、昔の人がたとえ米一粒でも無駄にしなかったという精神を見習い、食物に感謝して頂くことが出来ればと思いました。

今日は達磨忌

2010.10.05 Tuesday

どの家庭でも一個はあると思われる達磨さん。
今日は、達磨さんの命日である達磨忌です。

達磨さんの思い出といえば、私が小さい頃、瑞雲寺本堂の柱に恐ろしいポスターが張ってありました。そのポスターには「くよくよするな」と書かれており、目がギョロリとした木彫りの像が印刷されてありました。この木彫りの恐い像こそが達磨さんでした。

私が小さい頃、恐ろしく見えた達磨さんは、禅の教えを最初に中国に伝えた方とされています。なので、震旦初祖(しんたんしょそ)と呼ばれています。(※震旦とは中国、初祖とは最初に伝えた人)

この方は、南インドの人で香至王の第三王子と伝えられ、もともと名前は菩提多羅(ぼだいたら)、出家した後、菩提達磨(ぼだいだるま)となりました。

伝承によりますと、達磨さんは5世紀後半、インドから梁の国へやってきました。梁の武帝という方はとても熱心な仏教信者で、ある日達磨さんと面会することに・・・

武帝「今まで、多くの寺院や仏像を作り、多くの僧に供養してきたが、その功徳はどれ程のものか?

達磨さんの答えは素っ気無いもので、ただ「無功徳」(※功徳は無いですよ)とだけ答えました。

その後、達磨さんは武帝のもとを去り、映画「少林寺拳法」で有名な嵩山(すうざん)少林寺に入り、ひたすら坐禅を組むこと九年にわたったとされ、後世これを「面壁九年」(めんぺきくねん)と呼ぶようになりました。

示寂(亡くなられた)された年月には諸説あり、宇井伯寿著「禅宗史研究」によりますと、「北魏孝武帝の初年、梁の武帝中大通四年(532)示寂した」とあります。年は百五十歳といわれており、不明な点が多いようです。

最後に、達磨さんが中国に禅を伝えなければ、曹洞宗金龍山瑞雲寺は無かったでしょう。今日は達磨さんの行跡を偲び法要を営みました。


なぜ、はきものをそろえると心もそろうのか?

2010.10.04 Monday

9月24日のブログに、故藤本幸邦老師の「はきものをそろえる」という詩を紹介しました。
今回は、なぜ「はきものをそろえると心もそろう」のか考えてみたいと思います。

はきものをそろえると心もそろう」という詩は禅の極意をうたっているのです。
(※厳密に禅において極意というものは存在しません。)

禅の極意とは坐禅のことをいいます。
坐禅において心を整えるには「調身(ちょうしん)調息(ちょうそく)調心(ちょうしん)」という過程(プロセス)が必要になります。

調身とは身を整えること。上半身を左右前後に数回、大から小へ揺り動かしながら身を整えていきます。その際大事なポイントとなるのが両膝と仙骨。特に両膝が畳に着いていることが坐禅における土台となります。両膝を畳に着けることによって仙骨および腰椎が、大腰筋・小腰筋を通して前に押し出され自然と腹に力が入り体が安定する。腹に力が入り体が安定することによって呼吸が深くなる。これが調息。呼吸が深くなることによって心が静まる。これが調心といいます。

わずらわしい説明になって申しわけございません。
シンプルにいいますと坐禅において身を整えるという行動が、心を整わせるということなのです。
「坐禅」を「はきもの」に代えていえば、はきものをそろえるという行動が心をそろわせる、これは実践行動を重んじる禅宗の面目躍如といったところですね。

最後に、はきものをそろえることを通して禅の心に触れてもらえればと思いました。


「はきものをそろえる」

はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすれば きっと
世界中の
人の心もそろうでしょう

香りの記憶

2010.10.02 Saturday

朝6時の梵鐘を鳴らしている時、とてもよい香りが漂ってきました。
その香りの主は、石段の途中にある金木犀で、とても好きな香りの一つです。
この金木犀の香りを嗅ぐと、なぜか小学生の頃を思い出すのです。
小学生の頃といえば、接着剤の匂いを嗅ぐとガンダムに熱中していた頃を思い出します。
皆さんもありませんか?
香りは忘れていた記憶を簡単に戻すことが出来ます。
今日は金木犀の香りを嗅いで、脳の不思議さを味わいました。


瑞雲寺境内にある金木犀 とても良い香りがします。


彼岸花 今年は咲くのが遅かったですね。


秋桜と書いてコスモス。まさに秋桜


天に向かって伸びる瑞雲寺のバラ

法螺練

2010.10.01 Friday

今日の午後、暇が出来ましたので相馬の砂浜で法螺練(ホラレン)してきました。
法螺練というのは、大雄山で修行していた時、法螺貝の練習することを略した言葉です。
お寺で練習すると音が漏れるので気を使うのですが、砂浜での練習では波で音が消されてしまうので気を使わず練習することが出来ます。
ただ、法螺貝の魅力の一つであるやまびこが聞こえないのが残念なところです。


大洲と松川浦を結ぶ道路


法螺貝と謎の漂着物

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