小斉の夕日

2012.11.25 Sunday

午後から、自転車で石碑を調べるため、小斉・金津・東根・桜・西根・角田と行ってきました。西根には15時40分頃までいたのですが、太陽の位置がどんどん低くなってきたため急いで帰りました。帰りは枝野の土手を通って帰宅。写真は小斉で撮影したものです。


小斉の土手から撮影


お富士山の雲

太祖降誕会にちなみ

2012.11.22 Thursday

「どうやって来たの?」
「荷物を積んで自転車で旅しています」
「どこに泊まるんだい?」
「駅の近くで野宿するつもりです」
「雨が降ってきたから泊まっていきなさい」
「は・はい」

4年前、西日本自転車巡礼の旅で四国徳島にあるお寺で参拝し終わり、庫裡の入口で挨拶をした時のやりとりです。そのお寺とは、瑩山禅師(太祖常済大師)の初開の道場城満寺です。城満寺は、丸森町小斉生まれの大槻哲哉住職が全国を行脚し本堂・坐禅堂・山門を復興されたお寺です。

「泊まっていきなさい」とやさしい言葉をかけてくれた和尚さんに、「大槻住職はどちらにいらっしゃいますか?」と聞きましたら、「今、入院中だよ」とのことで残念ながらお会いすることができませんでした。

差し出されたお茶を飲んでいると、「おいしいお菓子があるんだ、食べたらいいよ」と袋の住所を見てみるとなんと宮城県角田市と印刷されてありました。私は「なぜ、四国の地に、角田のお菓子があるのですか?」と聞きましたら「三四日前に、宮城県のお寺さんが参拝に来られたんだよ」「長泉寺という名前のお寺ではなかったですか?」「そ・そうだよ」「実は私、角田の南に住んでいる丸森からきました。このお寺の大槻住職も丸森出身なのです」「あぁ、そうだったの、不思議なこともあるもんだね」

その晩は、入院中の住職に代わって留守をしている和尚さんと夕食をいただきました。話を聞けば、若い時、世界を放浪しインドに長い間滞在していたことを語ってくれました。私は「なぜ、この世界に入ったのですか?」と聞きましたら、「インドでの放浪が私の将来を決めた」とおっしゃっておられました。

翌日、天気は雨。境内の草むしりをする条件でもう一泊させてもらいました。午前中、城満寺で坐禅をしている長い髪の毛を束ねたデザイナーの方がいらっしゃいました。その方は、居合もされているそうで、刀は無いながらも無駄な動きが無い素晴らしい演武を披露して頂きました。その後、「今、瑞雲寺のロゴを考えているのですが、うまくいきません、どうか作ってもらえませんか?」と聞きましたら快諾してもらいました。(※その後、郵送してもらったCD−Rをパソコンで見てみたら最高の出来でした)

そんな瑩山禅師初開の道場である城満寺。同郷である大槻住職にはお会いできませんでしたが、この二日間を通じて、角田市のお菓子・世界放浪した和尚さん・デザイナーの方にお会いできるなどとても濃い日をすごすことができた4年前の出来事を、瑩山禅師誕生日にちなみ思い出したことを書きました。

太祖降誕会

2012.11.21 Wednesday

今日11月21日は曹洞宗大本山総持寺を御開きになられた瑩山(けいざん)禅師様の誕生を祝う、太祖降誕会(たいそごうたんえ)です。瑞雲寺では午前11時に、お供え物をそなえ法会を行いました。

瑩山禅師様は1268年11月21日(陰暦10月8日)越前国(福井県)に生を受けました。観音信仰に厚い母親の影響を受け8歳で永平寺に入り三世義介禅師様のもとで修行されました。その後、師を求め諸国を巡り修行されています。

瑩山禅師様に関連するお寺としては、大本山永平寺(福井県) 宝慶寺(福井県) 大乗寺(石川県) 永光寺(石川県) 城満寺(徳島県) 大本山総持寺(神奈川県) などがあります。もともと総持寺は能登にありましたが火災で烏有に帰し、明治44年(1911年)に神奈川県に移転されました。昨年は、総持寺御移転百周年を迎え多くの方が訪れました。

4年前の自転車西日本巡礼の旅では、大本山永平寺 宝慶寺 城満寺を参拝しました。よろしければ当ブログのカテゴリー 自転車西日本巡礼の旅をクリックして読んでいただければ幸いです。

朗読会

2012.11.19 Monday

午前10時、金山まちづくりセンター主催の朗読会に、体調不良の森先生に代わり講師として私が務めてまいりました。会場は、私が好きな金山図書館です。内容は、紙芝居二編、早口言葉、秋の歌三曲、中勘助「銀の匙」などを朗読。短い時間でしたが参加者の方達と楽しく過ごすことができました。

紙芝居では「子そだてゆうれい」と「さとり」の二編を読みました。
一編目の「子そだてゆうれい」の話は「飴買い幽霊」の話としても有名で、江戸時代は高座で語られるほどだったそうです。実は、丸森町大内田辺にも伝わっております。紙芝居の後、幽霊や人魂について体験談を交えてお話しました。二編目の「さとり」は、妖怪のお話でしたが、仏教でいう「悟り」に絡めて僧侶の立場からお話しました。

早口言葉では、私が布教師養成所(平成21年〜23年)で学んでいた時、かつぜつの悪い私が実際に行っていたものを10こ程抜き出して、皆さんと一緒にトレーニングしました。

秋の歌では、「紅葉」「夕焼け小焼け」「たきび」の三曲を、音読してから大きな声で歌いました。

最後に、中勘助 作「銀の匙」を約2ページを読みました。この「銀の匙」は、文豪夏目漱石が絶賛する小説です。どうせ朗読するなら最高のものをということで私が選びました。

この朗読会、一気に進めると集中力が低下するので、途中お茶を飲んだり、休み休み行いました。
そのお陰か、朗読や歌を通じて昔の金山の事など、皆さんの口から「以前はこうだった」「ここに〇〇商店があった」「庭に猫の石碑があるよ」など面白い話が飛び出してきて、やはりリラックスできる状況は記憶を引き出しやすいなとその時感じました。

今日の朗読会は、今年で最後です。来年もあるようですので、もし呼ばれる事があれば、皆さんに楽しんでもらえるような企画を提供したいと思います。



朗読会の資料です


紙芝居「子そだてゆうれい」と「さとり」を読みました。

船岡大光寺晋山式

2012.11.18 Sunday

今日は、船岡にあります大光寺にて、退董式(たいとうしき)・晋山式(しんさんしき)・法戦式(ほっせんしき)が執り行われました。

昨夜の雨風が強い段階で「明日の天気はどうなるんだろうか?」ととても心配でした。私以上に大光寺関係者の皆さんは今日の事が心配だったと思います。しかし、蓋を開けてみれば天気は晴れ、風は多少強かったものの式を進めるにあたって何の支障も無い程度のものでした。

時至り、差定(さじょう※式次第の意)にのっとり式が進行していきます。

最初の式は退董式(たいとうしき)です。退董式とは、一寺の住職がその任から退く儀式のことをいいます。大光寺住職三十数年務められてきたということもあり、今日の日は感慨深いものがあったものだろうと思います。

晋山式(しんさんしき)とは、お寺に新しく住職として入る儀式です。普段登壇することが無い須弥壇上(お釈迦様がいらっしゃる壇)からの眺めは、新しい住職様にとって一生忘れることができない記憶として、後の世に語り継がれることでしょう。

法戦式(ほっせんしき)とは、首位に立つ僧が、他の僧侶と仏の教えに関して問答することです。本堂内では、窓ガラスが響くほどの迫力のある問答が繰り広げられました。

久しぶりに、このような式に随喜(ずいき※参加・協力の意)することができ、身の引き締まる思いでした。大光寺関係者の皆様方、今日は本当におめでとうございました。


晋山式が始まる前の本堂


本堂内より見た山門


本堂前にあった紅葉
今日の日を祝福しているように、いい色をしていました。


山門に新命和尚様(新しい住職様)が到着したところです。


本堂裏手にあるイチョウの巨木
紅葉に負けじと、いい色をしていました。


瑞雲寺と大光寺との関係

瑞雲寺には、末寺が三ヶ寺(大内の長泉寺、船岡の大光寺、隣にある溪水寺)あります。本寺と末寺よりも、本家と分家の関係といった方がわかりやすいかと思います。瑞雲寺第十世雲州全利大和尚が船岡の地に開山したのが大光寺なのです。

火事のような朝焼け

2012.11.17 Saturday

朝起きましたら、東の空が真っ赤だったので火事なのでは?と一瞬思いましたが、時間が経つにつれ薄まってきて一安心。下の写真は、色が薄まった時に撮影したものです。それでも結構な赤さでした。


今朝の朝焼け

季節外れのつつじ

2012.11.16 Friday

今朝は初霜(※瑞雲寺に於いて)。瑞雲寺本堂の屋根はうっすらと白くなっていました。ふと、境内の植木に目をやると白い花が一つだけ咲いていました。近づいてよく見てみると、春に咲くつつじです。なぜ、こんな寒い時期に咲くのかわかりませんが、頑張ってもらいたいと思います。


水汲み場の屋根
霜のため、うっすらと白くなっています。


季節外れのつつじの花

フルートの巨匠に学ぶ

2012.11.13 Tuesday

私がかつて修行した大雄山最乗寺は、曹洞宗でありながらホラガイを吹く珍しいお寺です。なぜホラガイを吹くようになったかは定かではありませんが、おそらく最乗寺開山にあたって土木の業に従事された道了大薩埵が関係するかと思われます。(道了大薩埵(どうりょうだいさった)は、聖護院門跡覚増法しょうごいんもんぜきかくぞうほう親王につかえ幾多の霊験を現され、大和の金峰山、奈良大峰山、熊野三山に修行。三井寺園城寺勧学の座にあった方です)

さて最乗寺に上山して1ヶ月後の5月下旬、先輩の僧侶から「二ヶ月後にはホラガイを吹けるよう練習しなさい」といわれ、御祈祷の合間に練習した記憶が懐かしく思い出されます。

先輩の僧侶からホラガイを渡され、吹き口に一生懸命息を入れますが、全く音が出ません。「コツは唇を震わすことだよ」と言われても音を出すことはできませんでした。何とか音らしい音が出たのは二週間後でした。そして、初めて出た音を手がかりに、徐々に高い音に挑戦するようになり数ヵ月後には一通り大雄山流のホラガイの譜を吹けるまでになりました。

ある時、音が出なくなるスランプに陥ってしまいました。御祈祷の合間、ホラガイの練習をするのですがかすれて音になりません。朝、山主老師を先導する役割にあたった時も全く音が出なくて、先輩の僧侶に代わってもらったこともありました。その後、仲間に音や姿勢をチェックしてもらったり、呼吸法、坐禅に取り組むもスランプを脱出する手がかりを掴む事すらできませんでした。

音が出ないスランプが続いた時、脱出する手がかりになった本があります。それは、音楽之友社発行の「フルートの巨匠 マルセル・モイーズ」という本でした。この本は、フルートのもつ魅力のすべてをひきだし現代フルート奏法を確立したマルセル・モイーズの生涯とその芸術を、モイーズ自身の言葉をまじえてつづられています。

その本の中に

ただ単にフルートを吹くのではなく、息に命を込めて吹くんだよ

わしは、絶対に高音域は練習しない。唇が緊張してしまうからね。だからわしは、低音域だけ練習することにしているんだ。時間が経つとそのうち、高音も無理なく出せるようになっているんだ。

今までの練習は、上手になった法螺貝の音をみんなに聞いてもらいたいと、いきなり難易度の高い高音域ばかり練習したのがきっかけで、音が出なくなり悩んでいたのでした。この本に出会って以来、いきなり高音域の練習はしないで、誰でも出しやすい低音域の音を中心に、息に命を込めることを心がけて練習をするようになったら、やがて、音も出るようになりスランプを脱出することができたのでした。音を出すにもいきなりではなく順序が大切なのですね。

フルートの巨匠モイーズの本とホラガイという仏器を通して、自信が無くなった時どうすればよいのかを最乗寺で教わりました。なんでも勉強ですね。今日はホラガイの練習をしていて、ふと思い出した事を書きました。

遠くの音

2012.11.11 Sunday

今朝6時の梵鐘を鳴らし終えた後、約4、5分ほど金山の町を眺めていました。すると角田の長泉寺様の梵鐘の音が「ゴーン」と小さい音ながらも、鳴っているのがはっきりと聞こえてきました。「これは天気が崩れるな」と思っていましたが、やはりというべきか11時ちょっと前、小雨が降り出してきました。

なぜ、遠くの音が聞こえると天侯が崩れるのでしょうか?
通常、音が鳴ると上空に散ってしまうので、遠ければ遠いほど聞こえにくくなります。逆に上空に温かい湿った空気の層があると、音がぶつかって遠くまで聞こえるとのことです。なので、遠くの音が聞こえる時は、上空に温かい湿った空気の層ある。つまり雨の降る確率が高いと思って間違いないと思います。

丸森に伝わる、お天気ことわざ

 常磐線の汽車の音が聞こえると天気が崩れる。(丸森・金山)(※早く復旧してもらいたいものです)
 梁川町のサイレンが聞こえると天気が崩れる。(耕野)
 海の音が聞こえると雨になる。(大張)(※角田西根の人も言っていました)
 筆甫のサイレンが聞こえると雨になる。(丸森)
 海鳴りが聞こえる時は春雪が降る。(大内)(※ごくたまに金山でも聞こえることがあります)
 川の水音がよく聞こえる時は雨になる。(筆甫)(※川の水音で天気がわかる筆甫の人は凄い!)
                     
                                        (丸森町史参照)

新しい、お天気ことわざ

 角田長泉寺の鐘の音がよく聞こえる時は天気が崩れる。(瑞雲寺)



ことわざのイメージ

雪虫

2012.11.10 Saturday

冬が近くなったことを知らせる雪虫が、瑞雲寺境内を飛んでいました。
雪虫は何の昆虫に属するか調べてみましたら、なんとアブラムシの仲間なんですね。
うっすらと雪化粧した蔵王山、そして、毎年この時期に雪虫が舞う。
一年も後半になったんだと思わせる一日でした。


手のひらで休む雪虫