近代化遺産 佐野製糸場跡
2013.02.17 Sunday
明治19年の操業から、昭和11年の工場閉鎖までの50年間、瑞雲寺のほど近い所に佐野製糸場という生糸を生産する工場がありました。
石垣を見る限りでは、ここにお城があったと思う方が多いのですが、町外から来た方に説明する時、「かつて石垣の上に佐野製糸場という工場がありました」と説明すると驚かれます。
今日は今朝から天気が良かったので撮影してみました。
まるでお城があったように見える石垣
二本松の工場に思いを馳せて設計したと思われる。 「亜米利加で大うけの佐野製糸」より抜粋
当時、工場建設費の総額は16万円。
金山小学校の総工費580円から考えると、かなりお金をかけていることがわかります。
小さい頃はよく登りました。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
これは仏教の言葉で、何一つとして恒常な存在はないという意味です。
かつて明治・大正・昭和と生糸で隆盛をほこった佐野製糸場ですが、今ではお城のような石垣だけが当時を偲ばせています。
しかし、私は日本の近代化を支えた佐野製糸場跡を過去の遺物だけで片づけていいわけがないと思う一人です。むしろ近代化遺産として登録されるべき対象であると私は思います。
近代化遺産とは・・・ウィキペディアによると
「近代化遺産とは、製鉄所、造船所、製糸場などの工場設備や機械、鉱山、橋、ダム、トンネル、発電所、鉄道などの建造物、さらには河川施設や港湾施設など、幕末以降の日本の近代化を支えた総体を文化遺産として捉える概念である。」
私が、近代化遺産に佐野製糸場を押す理由として、単に石垣の立派さだけではなく、当時の社長をはじめ町と工場との結びつきが強かった事があげられます。
志間泰治先生著「亜米利加で大うけの佐野製糸」によると、社長は、金山小学校基本金として300円、避病院建設費として333円、金山神社109段の石段の寄附(総工費100円)されています。
寄附の他、工場内に私設金山測候所が作られました(足尾銅山測候所に次ぐ全国2番目の開業記録)
測候所には、雨量・風力・風向計・無線交信用アンテナ等を設置。
観測した結果は、町内外に伝達され、町では感謝の意を表して町長が褒賞状を奉呈しています。
また、明治41年には、地震観測所が建設され、大森式地震計などの各種計器類が所せましと設置されたといいます。
先ほどは、石垣でしか偲ぶものはないといいましたが、現地に行ってよく観察してみますと、建物こそ残っていませんが、貯水池・木に隠れた石垣群・桜公園・工女墓・測候所石段・金山神社の石段・神社境内にある頌徳碑、瑞雲寺観音堂には工女達が手を合わせたといわれる観音像・瑞雲寺本堂には工場に掛けられていたアメリカ製の時計等があります。まるもりふるさと館に行けば、佐野製糸関連の展示物を見る事ができます。
もし、金山に来ることがありましたら、ぜひ佐野製糸場跡を見学されてはいかがでしょうか?
(※数年前に設置した佐野製糸場の説明板があります。)
今日は、佐野製糸場の石垣を撮影するにあたり、近代化遺産について考えさせられた1日でした。
12年前の自転車旅の日記を公開
2013.02.15 Friday
12年前の2001年から2002年にかけて、自転車で全国曹洞宗専門僧堂25ヶ寺参拝の旅の日記をブログで公開することにしました。日付は1月1日となっておりますが気にしないで読んで頂ければと思います。
ちなみに当ブログの自転車西日本巡礼の旅とは違う日記となっております。
ブログのタイトルです。
建国記念日
2013.02.11 Monday
午後14時より、角田市桜にある自照院様にて、八世様及びご寺族様の年回法要の随喜(お手伝い)をしてまいりました。
自照院様の印象は、町場にあるのと本堂の柱の色が明るいせいか、参拝しやすい雰囲気があります。
普通、お寺のご本尊様は「お釈迦様」大多数を占めるわけですが、自照院本堂に安置されているご本尊様は、千の手を持ち漏らさず救済するといわれる「千手観音様(坐像)」です。
もし、角田市桜に寄ることがありましたら、参拝されてみてはいかがでしょうか。
明るい印象の本堂
瑞雲寺に戻り、角田市桜についてのパンフレットを読んでみました。
ふるさと桜の史跡めぐり
「ふるさと桜の史跡めぐり」を読んでいると
「現在の自照院は、昔の神宮寺の境内に建てられた。神宮寺とは神宮と寺の組み合わされたという意味で格式の高い神社に付属したお寺のことで諏訪神社の別当をしたお寺である。」
という内容。
自照院様と関係の深い諏訪神社境内にに「国造石」というのがあるの知っていましたか?
今日は建国記念日、「国造石」のページを作ってみました。
四枯四栄
2013.02.10 Sunday
5日後の2月15日は、お釈迦様が亡くなられた日である涅槃会です。
瑞雲寺では、涅槃会にちなみ大きな掛軸を本堂内にある柱に掲げます。
以前は、涅槃図を眺めて、こんなにたくさんの人に見送られて幸せだなと思うだけでしたが、本当は色々な意味が込められた絵だったのです。
例えば、お釈迦様の周りの8本の木。
この木の名前は、沙羅双樹(さらそうじゅ)、日本においては夏椿と言われています。
向かって右の4本は枯れていて、左の4本は青々としています。
これには意味があって、お釈迦様が最後の説法をし終わった後、4本は枯れ、他の4本は青々と栄ええました。これを四枯四栄(しこしえい)といい、お釈迦様の肉体は涅槃に入ってしまわれたが、説かれた教えは後の世にも残って栄えるという事なのです。
8本の沙羅双樹の内、左の4本は青々としていて、右の4本は枯れている。
納骨の際、墓前に置かれる四華(紙華)
釈迦涅槃になぞらえ墓前に置く理由は、故人はこの世にはいないけれども、生きている間に教えてもらった事は、残された私たちの心に受け継がれていくという意味があろうかと思います。