ヤマアリ

2016.07.31 Sunday

春が過ぎると、いつの間にか本堂内に大きなヤマアリが入ってくることがたびたびありました。私が本堂に入るたびごとに、ヤマアリを見つけては箒とちり取りを使って外に逃がしていました。

 

特に本堂内に甘いものを置いているわけではないので、入ってくる原因がわかりません。しかし、先月の床板工事が終わった後、原因がわかる日が来ました。

 

それは、中島公代々の位牌が置いてある下の部分は開かずの扉のようになっており、力任せに思い切って開けた所、20年以上前の砂糖(※昔は葬儀や法事のお返しに砂糖が多かった)が保管されてあったのです。悪いことに砂糖が溶け床板が真黒になって腐っていました。

 

ヤマアリが入ってくる原因の砂糖を取り除き、大工さんに床板を張りなおして頂き28日に完成しました。今のところ、ヤマアリの姿は見えないことから考えて、やはり砂糖が原因だったと思われます。

 

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床板を張りなおしてもらいました。

植木の剪定

2016.07.30 Saturday

26日から28日にかけて、地元造園業者さんによる瑞雲寺境内の植木の剪定が終わりました。
昨年に比べて涼しかったとはいえ、作業は大変だったことと思います。
おかげさまで、伸び放題だった植木が綺麗になりました。

 

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インド仏跡巡礼の旅 第5日目(2月19日)

2016.07.25 Monday

ガンジス河

ガンジス河の沐浴風景を見るために早く起きる。ヘッドライトと防寒着を着てバスに乗り込んだ。バスから降りると外は結構寒い、道路にはボロの布をまとった老人、牛、沐浴に向かう人々、色んな人が歩いている。

牛の糞に気をつけながら町を通り過ぎるとガンジス河が見えてきた。夜明け前にもかかわらず凄い人出だ。ガンジス河での沐浴は薄暗い早朝でないとダメだという。昼間の沐浴では意味が無いらしい。

階段を降りて小船に乗り込む。遠くに火が燃えているのが見えた。ガイドの話だと火葬しているのだという。洗濯をしている人、沐浴する人、土産を売る人、火葬する人、それがガンジスの日常なのだ。


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ガンジス河に通じる道を歩く

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ガンジス河を船で観光

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夜明け前というのに人がたくさんいた。

 

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河上の魚売り。魚を買って逃がせば功徳を積むことができるという。日本にも放生会(ほうじょうえ)という祭がある。

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一生懸命船を漕ぐ二人

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沐浴をする人

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日の出前のガンジス河

Uターンして、東の空から梅干しのような太陽が見え出した。地平線から昇る太陽を見たのは生まれてはじめての経験だ。しばしの間、ガンジスの朝日に感動していると、小舟が向かってきた。お土産を売る売り子の舟だ。鈴とガネーシャ像2体が欲しかったが、言い値が結構高かったので300ルピーから150ルピーにまけてくれと言ったら何とかなった。さらにおまけをしてくれと言ったら水を入れる器をくれた。ガンジスの水を入れて持ち歩くとお守りになるらしいが、どう考えても漏れそうな器だった。小舟から降りて、バスのある所に向かう途中、物乞いの親子がついてきた。きりがないので無視をして歩を進め、ホテルに戻るバスに乗った。

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ガンジス河の朝日

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朝日に照らされる建物

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金色に輝くガンジス河

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ガンジスの水を入れる器

初転法輪の地サルナート

午後、ホテルを出てベナレス郊外の釈尊初転法輪の地、サルナートを観光する。釈尊が初説法する為に五比丘が設営した迎仏塔を見学した後、6世紀のグプタ王朝期に造営されたというダメーククストゥーパを見学。入口の門には初転法輪の地に相応しい黄金の輪宝が取り付けられているのが印象的だ。園内ではアショカ王柱を見学。メインであるダメークストゥーパは修復されているが、所どころに残っている手の込んだ幾何学模様が当時の仏教の隆盛を物語っていた。

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五比丘に説法をする仏陀(瑞雲寺本堂にある絵)

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迎仏塔

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入口の門にあった転法輪

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アショーカ王の石柱

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ダメークストゥーパ

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仏塔群

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ダメークストゥーパとムラダクィー寺院

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ぐるっと回れるようになっている。

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ストゥーパ壁面に残されている彫刻

初転法輪寺(ムラガンダクィー寺院)

外に出ると売り子の攻勢に晒された。特に、シンキングボウルを持って「ヴゥーン」と客の気を引き、目が合ったら最後、近づいて来てこれを買えという。昨日買ったからいらないと断ったが、音を聴くとまた買いたくなってしまうところが自分の悪い癖だ。そんな買いたい欲望を抑えてスリランカのお寺、ムラガンダクィー寺院を見学。

入口付近に吊るされている梵鐘には梵字が彫られてインド風であるが紀年銘を見ると昭和七年とあることから考えて、日本人がこの寺院に寄付したようだ。

寺院内には釈尊の誕生から涅槃までの絵が壁一面に描かれている。何となく見覚えのある懐かしい絵だと思ったら、この壁画を模したものを、かつて瑞雲寺本堂に掲げていた記憶が鮮やかに蘇ってきた。この壁画は野生司香雪(のすこうせつ)という画家が戦前に描いたものだと説明板にあった。

その後、「幸子の店」という数珠を売る店に入る。菩提樹の実でできた数珠を購入。


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スリランカのお寺、ムラガンダクィー寺院

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入口に吊るされている梵鐘

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梵鐘の紀年名には昭和七年九月吉祥日とあった。

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本堂正面のお釈迦様に手を合わす

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本堂壁面にはお釈迦様の一生が描かれていた。

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スジャータの供養

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成道

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涅槃

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四年かけて壁画が完成したことを伝える説明板

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幸子の店外観

ベナレス郊外のムファールサライ駅へ

寝台列車に乗るために、ベナレス郊外にあるムファールサライ駅に向かう。19時47分発の寝台列車に乗る予定が、なんと12時間遅れているという。いくらインドでも12時間は無いだろう。何かあったに違いない。ここまで来たら急いでもしようがないので、せめて駅の雰囲気だけでも味わいたいということで、駅構内を見学。列車は遅れに遅れているらしく、切符売り場の前では横になっている人が大勢いた。結局、寝台列車には乗らず、車で次の目的地へ向かうことに決定。その後、夜通し約600キロを進むことになった。

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ムファールサライ駅

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列車が遅れて寝ている人がいる駅構内

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本来ならここから寝台列車に乗る予定だった。

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寝台列車に乗れなかったが駅構内を見学できて良かった。

12時間寝台列車が遅れた原因は、インド北部のハリヤナ州で暴動があったらしいとのこと。おそらく12時間待ったとしても列車は来なかったと思う。以下は日本に戻った時に読んだ産経新聞の記事である。
 


インドのカースト暴動 死者19人に スズキ操業再開めど立たず
 
インド北部ハリヤナ州で、伝統的身分制度「カースト」の多数派集団が起こした暴動で、22日までに地元住民少なくとも19人が死亡、150人以上が負傷した。地元警察が明らかにした。当局は治安部隊を動員して暴動を鎮圧しており、一部の道路封鎖は解除された。
 
インド自動車最大手のスズキ子会社マルチ・スズキが部品を搬入できず、20日から2工場を操業停止しており、再開のめどは立っていない。同州には日系企業が500近くの拠点を設置、操業に影響が出ている企業が複数ある。
 
暴動を起こしたのはハリヤナ州で多数派の、もともと農業をなりわいとする「ジャット」と呼ばれるカーストの集団。高速道路を封鎖したり、鉄道駅や商店などを焼き打ちしたりして混乱が広がった。道路封鎖により、隣接する首都ニューデリーの一部地域は給水や物流が止まるなど打撃を受けている。(共同)
 
産経新聞社 2016年2月23日版


スズキ、インドの工場再開 3日ぶり
 
 インド北部ハリヤナ州で起きた暴動のため、工場の操業を停止していたスズキの子会社で印最大手のマルチ・スズキは23日、工場を3日ぶりに再開した。停止していたのは同州マネサールとグルガオンにある2工場。幹線道路が封鎖され、部品の供給が受けられなくなっていた。暴動は沈静化の方向だが、一部地域では23日も続いた。略奪や放火による経済的損失は3400億ルピー(約5600億円)に上るとの推計もある。(ニューデリー 岩田智雄)
 
産経新聞社 2016年2月23日版



600km先のアグラへ

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夜中に立ち寄った食堂

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ベナレス〜アグラ

インド仏跡巡礼の旅 第4日目(2月18日)

2016.07.21 Thursday

お釈迦様お悟りの地ブッダガヤ

釈尊成道の地であるブッダガヤにバスで向かう。バスから降りる前に余計な荷物を持っていかないようにとガイドから注意があった。カメラは一台につき100ルピー徴収されるとのことで、自分の場合は2台持って行ったので200ルピー出すはめになった。ボディチェックを受け園内に入る。

釈尊は6年間の苦行を捨て、尼蓮禅河で沐浴された後、スジャータという娘に乳粥の供養を受け体力を回復。そして、ブッダガヤの菩提樹の元で、12月8日に悟りを開かれた。仏教の最大の聖地だけあって各国の僧侶、信者の参拝客が大勢いる。大塔の前では持ってきた小さな法螺貝を吹いた。


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スジャータの供養(瑞雲寺本堂にある絵)

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成道(瑞雲寺本堂にある絵)

 

憧れの地、ブッダガヤ

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供養の花を売る人

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ボディチェックのある入口

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ムチリンダ竜王像のある蓮池

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ブッダガヤの大塔(マハーボディ寺・大菩提寺)

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大塔の高さは52メートル。2002年に世界遺産に登録された。

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彫刻が凄い

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大塔の下部の仏像には花で作った首飾りがかけられていた。

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金剛宝座と菩提樹

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菩提樹前にはたくさんの信者たちが読経をあげていた。

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仏足石

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鍵がかけられている為、隙間から菩提樹と金剛宝座を拝見する。

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大塔内部に収められている仏像

出口を出てバスへ戻る途中トイレ休憩していると、売り子達がぞろぞろやってきた。仏像が印刷された金色の下敷き、菩提樹の葉、数珠、絵葉書などなど。中でも気に入ったのは布に拓本された仏足石だ。1枚100ルピーにまけてもらう。500ルピーを渡すと、ここで待っててくれとのこと、売り子が戻ってくるとおつりは300ルピーだった。もう一枚あげるから勘弁してくれとのこと。インド人は商売がうまいと思った。

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布に拓本された仏足石

尼連禅河付近のストゥーパ

ブッダガヤを後にし、尼連禅河の近くにあるストゥーパを見学。遠くには釈尊が苦行された前正覚山がラクダのこぶのようにそびえているのが見えた。ストゥーパを右回りで一周し、バスの中へ。

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ストゥーパ

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日陰では犬が昼寝をしていた。

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遠くに見える二つのこぶは前正覚山

印度山日本寺

ブッダガヤにある日本寺を参拝。この日本寺は1973年国際仏教交流協会によって建立された。本堂内で読経を行い、インドに来た喜びを仏様に申し上げた。境内に隣接する保育園を廊下越しに見学、カメラを向けると笑顔で返してくれた。

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印度山日本寺の門

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日本的な建物になっている。

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日本寺の額

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本堂正面

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天井の真ん中には法輪が描かれている。

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本堂の周りには、お釈迦様の一生が描かれていた。

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ストゥーパのように本堂を一周できるように作られていた。

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寄付をされた方々の名前が彫られている。

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境内にある幼稚園

ホテルスジャータ

午後、ホテルスジャータで食事をした後、土産物店で法螺貝(シャンカ)とシンギングボウルを購入。シンギングボウルに関しては全く興味が無かったが、神秘的な音色に惹かれて購入することに決めた。

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お釈迦様の一生が彫られた木のレリーフ

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手前のシンギングボウルと法螺貝(シャンカ)を購入

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日本人が多いのだろうか?

245km先のベナレスへ

ホテルスジャータを出て、約245キロ先のベナレスへバスで移動。途中、トイレ休憩が何回かあった。雄大な風景の中での立小便はなかなか気持ちのいいものだ。(※日本のように道の駅や公衆トイレといったものは無い)

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インドの荒野

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ベナレスに向かう道路

恐怖、道路の逆走!

ベナレスに近づくにつれガンジス河の橋上は渋滞が酷く、ついに運転手は逆走し出す。対向車のライトが当たるたびに怖かったが、インドでは結構多いらしい。

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逆走中

無事に到着

車にぶつかることなく逆走し、19時半にベナレスのホテルに到着。

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命があって良かった〜

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ブッダガヤ〜ベナレス

おすすめのラジオ

2016.07.18 Monday

NHKラジオ「マイあさラジオ」の健康ライフで瞑想(めいそう)について5日間にわたってお話がありました。お話の中で瞑想は一日5分間だけで良く、ネガティブな感情が縮小する効果があるそうです。(※ちなみに坐禅は効果を求めることなくひたすら坐ることを旨とします。)

 

瞑想をやるやらないは別としてためしに聴いてみてはいかがでしょうか。

 

NHKマイあさラジオ 健康ライフ「疲れない脳の作り方 科学から見る瞑想

はつらつ学園の受講生の方が来山

2016.07.18 Monday

14日、丸森町教育委員会主催「はつらつ学園」の受講生の皆さんが来山しました。

 

「はつらつ学園」とは「生きがいのある豊かな人生をめざして」というテーマに「一般教養・健康・生きがい等に関する内容を講義や実技講習により全6回で学習する。このほか学習者が独自に企画運営する自主活動や施設見学などの移動研修を行う。」と開催要項に記載されています。

 

今回は第2回目ということで、熊野神社・旗巻古戦場を見学してきたそうです。住職に代わりに副住職の私が講師ということで緊張しましたが、本堂の様式・本尊・中島家の位牌・町指定文化財の前机・霊膳、その他、戦中の金属類回収令を免れた小鐘(※300年前に造られた)の音色を聴いていただきました。

インド仏跡巡礼の旅 第3日目(2月17日)

2016.07.17 Sunday

霊鷲山(りょうじゅせん)参拝

巡礼の旅も3日目。午前4時45分に起きる。ヘッドライトをリュックに入れロビーに集合、霊鷲山に向けてバスに乗り込む。霊鷲山は釈尊が晩年に止住説法された山で、拈華微笑の話で有名だ。暗くて急な石段をヘッドライトで照らしながら進む。

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ヘッドライトを頼りにビンビサーラ・ロードを進む。

ビンビサーラ・ロードとはマガダ国のビンビサーラ王がお釈迦様の説法を聴くために整備した道。

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道の途中から見えた霊鷲山

途中休みを入れながら霊鷲山に到着。色とりどりの旗が風にはためいている様は聖地にふさわしい。
2人の管理者以外に人がいないことから、どうやら私たちが一番乗りのようだ。日中はたくさんの人がいるらしい。四角に囲まれた煉瓦の奥には黄金の仏像に花輪、カラフルな布が収められていた。入口で靴を脱ぎ、香炉に線香一本立て、黄金の仏像前に布施をした後、手を合わせ三拝した。


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夜明け前、カラフルな旗がはためいていた。

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岩と岩が重なる修行窟で僧たちは坐禅を組み修行に励んだ。

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霊鷲山という名前の起源となった岩。鷲の嘴に似ている。

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霊鷲山頂上の釈尊説法台跡

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たくさんのお供え物

頂上付近に生息している猿を観察していると、東の山から朝日が昇り始める。
思わず手を合わしたくなるような朝日だった。


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まるで絵のような朝日

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お猿さんも朝日を見ているかと思いきや・・・

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袋を開けてお菓子を食べていた。

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ビンビサーラロードを霊鷲山頂上から見下ろす

霊鷲山をあとにし、石段を降るにつれ、しつこい売り子が多くなってきた。
まるで私たちはハイエナに狙われた獲物のようだ。数珠や絵葉書などなど、でたらめな日本語で買え買えとの攻勢が凄い。


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下りのビンビサーラロード

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お土産売りにつかまってしまった。

竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)

バスに乗り込み竹林精舎に向けて出発。ここはマガダ国の王ビンザサーラが釈尊に寄進した仏教世界最古の寺院跡である。竹林精舎ということだけあって竹が繁茂していた。バスに戻る途中、他の外国人と一緒に記念撮影をする。こういう交流もなかなかいいものだ。

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竹林精舎入口。精舎とは、出家した修行者が住むお寺という意味。

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沐浴する池(カランダカ池)

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塚の後ろには竹が繁茂していた。

ナーランダ大学跡

ホテルに戻って朝食、その後、玄奘三蔵が学んだとされるナーランダ大学跡を見学する。
跡内は5月上旬のような陽気でとてもすがすがしい。各国のお坊さんが見学に来ており、中には専属のカメラマンに撮影をしてもらっている方もいた。自国に戻ったらパンフレットに用いるのだろうか。


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ナーランダ大学跡入口。ナーランダとは、池に住む龍の名前。

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ナーランダ大学跡へ通じる並木道

煉瓦で積み上げられたナーランダ大学は、当時は三階もの高さがあったという。一人一人修行された部屋の跡を見て当時の隆盛さが煉瓦を通して伝わってくるようだ。ジャマールさんの話では、この大学にあった書籍は全部燃えてしまったとのこと、本当に残念に思う。今でも残っていれば仏教の中心地であったことは間違いないであろう。玄奘三蔵が、このナーランダから経典を中国に持ち帰ったおかげで仏教が日本にも伝わったことを考えると感慨深いものを感じた。

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ナーランダ大学跡

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インドの2月は過ごしやすい。

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気持ちよさそうに昼寝している犬

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仏塔群

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僧院跡?

祭壇らしき場所では、黒い服を着た人たちが読経されていた。

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僧院跡?

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玄奘三蔵

その後、ナーランダ大学近くにある博物館を見学。こじんまりとした博物館で、地元の子供たちが自由に出入りしていた。

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博物館入口

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ナーランダ大学跡入口付近の土産物店

ビンビサーラ王牢獄跡

ホテルに再び戻って昼食を食べる。午後1時過ぎに前正覚山に向けて出発。途中、ビンサーラ王が幽閉されたという牢獄跡を見学。ここから、霊鷲山と日本山妙法寺建立の白い仏塔が見えた。白い仏塔は霊鷲山の左上に建てられており、海外旅行者のランドマークになっていた。

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ビンビサーラ王牢獄跡と霊鷲山

高知県仏教青年会の方々が建てたお堂を参拝

その後、荒野という名にふさわしい石と茶色の土の風景が続く道路を進み、高知県仏教青年会の方々が建てたお堂を参拝。バスに戻る途中、あまりいなかった子どもたちがいつの間に増えてびっくりする。観光客が珍しいのだろう。

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このお堂は高知県仏教青年会二十周年の記念事業として建てられた。

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お釈迦様

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寄進された寺院名が書かれていた。

 

前正覚山へ行く道の風景

前正覚山の留影窟

4時ちょっと前に前正覚山に到着。ここは釈尊が悟りを開く前に洞窟内で6年もの間、苦行されたところだ。
駐車場付近には、バイクやカゴの人がたむろしている。まるで暴走族。とにかく乗れ乗れとうるさい。岩手のお坊さんはバイクに乗りたかったようで、ブーンと颯爽と登って行った。私たちはバイクやカゴに乗らず、ゆっくり歩いて登って行くことにした。

ここも有名な聖地なので各国のお坊さんや信者がとても多い。
頂上には霊鷲山と同じく色とりどりの旗がはためいており、まるで聖地だと主張しているようだった。ここはチベット仏教のお坊さんたちが管理している。洞窟内に入り、布施をした後、手を合わせて参拝。

釈尊はこの洞窟では悟りは開けなかったが、ここでの苦行が無ければ、悟りはおろか仏教は無かったに違いない。修行に無駄なことは無い、すべてが繋がっているものだと理解した。


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バイクに乗れとうるさい

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結構急な道を歩く

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カゴを利用する人

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カラフルな旗がはためく前正覚山

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お釈迦様が苦行された洞窟、留影窟

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仏陀苦行のプレート

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下を覗くと崖が見える怖いトイレ

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前正覚山から見た風景

尼蓮禅河

バスに乗り込み凸凹道を進み尼蓮禅河に向かう。土手の片隅に路駐しバスから降りると、河原の奥にはブッタガヤの大塔と夕日が見えた。

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尼蓮禅河(※乾季の為、水が無い)

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ブッダガヤの大塔と夕日

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ラジギール〜ブッダガヤ

インド仏跡巡礼の旅 第2日目(2月16日)

2016.07.14 Thursday

ホテルをチェックアウト

6時に起きてシャワーを浴びる。7時にバイキング形式の朝食。パンとカレーらしきものを食べる。なかなかおいしい。出発前、ホテルの周囲を散策し、8時30分デリー空港に向かう。


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出発前、ホテル(アショカカントリーリゾート)入口にて

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入口の横にあった古い車

ゴーエアー機でパトナへ

10時35分、ゴーエアー機でパトナへ。
12時15分に到着、空港入口にはたくさんの人がいてびっくりする。インド人の視線を避けながら、空港に隣接しているレストランに入り昼食。ナン(ピザの生地のようなもの)にカレーをつけて食べる。この程度の辛さなら大丈夫のようだ。なぜなら大河原のCOCO壱で4辛を食べる予行演習していたからだ。


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飛行機の窓から見た風景

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パトナの空港に到着

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空港入口ではたくさんのインド人がいた。

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空港に隣接するレストランで昼食

パトナからラジギールへ

専用車で100キロ先のラジギールへ。
バスの窓から見る町の風景が日本と全然違う。


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専用車で移動(約100km)

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インドの道路

ラジギールの町を散策

ラジギールに到着し、バスから降りて町を散策。
町の中は車のクラクションでとても騒がしい。「ププッ!パラパラ!」というクラクションは、注意を促すというよりは、自分の存在を示す音のようだ。

道の真ん中を歩いている牛は神聖な動物なので車がよけて走る。殺した者はインドでは死刑だそうだ。

衝撃的だったのは売っている魚に群がる蠅の大群。
それでもインド内部にあるラジギールでは魚が貴重な食べ物だそうだ。とにかく、人、車、動物、昆虫、自転車、建物がごちゃごちゃして、脳内がパンクしそう。17時ごろ法華ホテルに到着。


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ラジギールの町

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カラフルな糸が売っていた。

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物を運ぶバイク

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道路の真ん中を堂々と歩く牛

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騒がしい中、休んでいる犬

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お釈迦様と関係のある場所らしいが忘れてしまった。

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今日は法華ホテルに宿泊

 

ラジギール

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ニューデリー〜パトナ〜ラジギール

インド仏跡巡礼の旅 第1日目(2月15日)

2016.07.12 Tuesday

2月15日から22日の7泊8日で第6教区青年会主催インド仏跡巡礼の旅に行ってまいりました。
どのような旅だったのかについては、4月18日の観音講の祭典でパソコンを使い映像や写真を交えて講演したとおりです。今回、祭典に来れなかった方で、どのような旅だったのか知りたい方がいらっしゃいましたので、ブログで公開することにしました。なお、参加者については個人情報保護の関係より、正面からの写真や名前については遠慮させていただきます。


仙台空港から成田空港

仙台空港近くの朝日パーキングに車を置き、13時30分空港ロビーに集合。14時20分、成田空港に向けて飛ぶ。約1時間のフライトで、15時25分頃に成田空港に到着。

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仙台空港2階

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仙台空港から見える景色

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遠くに見える川は阿武隈川

成田空港からデリー空港

出国手続きを済まし、飛行機に乗り込むが、みぞれを除雪する為に出発するのに時間がかかる。だいぶ時間が経ったところでインドへ向けて飛行機が飛んだ。飛行機の座席は前後にスライドするだけで、上体を変えようにも変えられないのが辛い。約10時間のフライトでインドに着く頃には腰の痛みが酷くなっていた。

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成田空港にて

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飛行機の座席には、どのあたりを飛んでいるのか画面で見ることができる。

夜中にデリー空港に到着

翌日の午前1時30分頃、デリー空港に到着。空港の印象は茶色の印象。おそらく空港内に敷かれた絨毯のせいだろう。話に聞いていたように空港内はとても広くて綺麗だ。搭乗者が多かったせいか、入国手続きに時間がかかる。ようやく手続きも終わり、一週間ガイドをしてくれるジャマールさんと挨拶を交わした。

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真夜中のデリー空港

空港を出てバスでホテルに向かう。夜中の3時近く、ホテルに到着。部屋の鍵をもらって明日に向けて就寝。

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夜中のチェックイン

多賀城市立図書館視察研修

2016.07.08 Friday

河北新報県内版で「多賀城図書館ビル来館者50万人超す」の記事があった6日、金山図書館運営委員会の方々と一緒に多賀城市立図書館の視察研修に行って参りました。この図書館の何が話題かというと、TSUTAYAが手掛ける武雄市(佐賀県)、海老名市(神奈川県)に次いで三館目の図書館だからです。

 

JR多賀城駅すぐ近くの多賀城市立図書館へはTSUTAYAの商業施設を通って行くような造りになっています。視察研修では、図書館職員のTさんに各フロアを案内解説して頂きました。この多賀城市立図書館は29ジャンルに分類され、25万冊が見られるようになっているとのこと。天井付近の空いた書架に本が入ると35万冊ほどになるようです。

 

宮城県各市町村の市史・町史に関しては、残念ながら丸森町史(※実は絶版貴重本なのです!)はありませんでした。Tさんは、丸森町史を何とか手に入れたいようなことをおっしゃっておりました。多くのジャンルの本がある中で、震災関連の本や多賀城関連の地域の本が充実していました。金山図書館も丸森関連の郷土史の本の充実を図っていきたいですね。

 

特に力を入れていると思った点は、大型絵本・赤ちゃん絵本・国内および海外の絵本などが充実していたところです。児童書のフロアを一通り説明を受けた後、子供向けトイレを見学しました。大人が座れない程の可愛らしい小さな便器を見た時、本当に来てもらいたいという意気込みを感じました。

 

本の検索はアイパッドとプリンターが所どころにあり、膨大な書籍の中からスムーズにたどりつくようになっています。貸出は一人10点15日間、自分で図書館利用カードを読み込ませた後、タッチパネルで操作して借りるような形式になっています。

 

特に印象的だったのは「読書通帳」です。これは自分が読んだ本を通帳に記帳できるようになっております。銀行の通帳のように、読んだ本が記帳すればするほど、また本が読みたくなるという面白いサービスだと思いました。アイパッドを使った本の検索や読書通帳のようなシステムの導入に関して具体的な金額は言わなかったものの結構かかったそうです。

 

最後に、面積が狭い金山図書館(蔵書数約2万冊)に対し、面積が広い多賀城市立図書館(蔵書数約25万冊)のような運営・システムを導入できるかどうかについてですが、考えるまでもなく無理だと思いました。しかし、多賀城市立図書館を案内解説して頂いたTさんのお話の中に、絵本の読み聞かせが始まったら、騒がしかった子供が静かになって熱心に聞いていたという「読み聞かせの力」にヒントがあるように感じました。

 

本を読むことが好きな子供が増えればという点については金山も多賀城も一緒です。早速、割り当てられた図書館の予算で、児童書・絵本を中心にTSUTAYAで購入してきました。他の運営委員会の方々が選んで購入してきた本も楽しみに待っていて下さい。これで多賀城市立図書館視察研修の報告を終わります。

 

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多賀城市立図書館

 

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JR多賀城駅

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