太祖降誕会
2016.11.21 Monday
今日は曹洞宗大本山総持寺を御開きになられた瑩山(けいざん)禅師様の誕生を祝う、太祖降誕会(たいそごうたんえ)でした。
瑩山禅師様は1268年11月21日(陰暦10月8日)越前国(福井県)に生を受けました。観音信仰に厚い母親の影響を受け8歳で永平寺に入り三世義介禅師様のもとで修行されました。その後、師を求め諸国を巡り修行されています。
瑩山禅師様に関連するお寺としては、大本山永平寺(福井県) 宝慶寺(福井県) 大乗寺(石川県) 永光寺(石川県) 城満寺(徳島県) 大本山総持寺(神奈川県) などがあります。
もともと総持寺は能登にありましたが火災で烏有に帰し、明治44年(1911年)に神奈川県鶴見に移転され現在に至ります。瑩山(けいざん)禅師初開の道場である城満寺の本堂・坐禅堂は、小斎出身の大槻老師が、全国を托鉢して建立されました。
瑩山(けいざん)禅師初開の道場、城満寺本堂
金山図書館創立80周年記念 番外編
2016.11.18 Friday
金山図書館の思い出(※以前の瑞雲寺のホームページより)
平成16年1月27日の朝、河北新報を見ると「青い目の人形金山小に贈呈」という記事が目についた。
戦前、米国から贈られた青い目の人形を修復していた丸森町金山地区の住民が26日、人形を地元金山小に贈呈した。小学校では平和、歴史を学ぶ教材として活用するという。金山地区の青い目の人形は約10年前(※平成6年頃?)傷んだ状態で金山図書館書庫から発見された。昨年7月に地元住民が蘇らせる会を結成し、地区内から寄付金を募るなどして修復を進めてきた。
この人形が発見されたのは約10年前とあるが、私はもっと前に彼女(人形)に出会っていた。あれは私が小学校4年か5年の夏休み。プールを出た後、急に本が読みたくなったので金山図書館へ一人で行った。館内へ入るといつも閉まってあるはずの扉が開いていたので何があるのか好奇心のおもむくまま入っていった。
「面白い本みつからないなぁ、漫画があれば最高なんだけどなぁ」
と思いながらふと下の書棚を見た時・・・「ウッ!」と息が止まる程の思いをした。それは、髪の毛が無い古い人形が置いてあり、一瞬だが目が合ったような気がした。その時、書庫へ入らなければよかったと後悔した。
「何で人形がこんなところに置いてあるんだ?」
書庫に人形が置いてある理由が全くわからず、とても怖くなってきたので図書館を足早に出た。薄暗い書庫の中と違い、外の太陽の光とアブラゼミの声を聴いて安心した記憶がある。これが彼女(人形)との最初の出会いだった。
書庫に入って後悔したあの日から月日は流れ、ついに彼女(人形)の正体がわかる日が来た。
平成16年1月27日の河北新報で、青い目の人形の記事を目にした。記事によると彼女(人形)の名前は「ローズマリー」で生まれはアメリカということが初めてわかった。あの傷んだ人形が「平和の使者」として日本に来たといういわれがあったとは・・・。見違えるようにきれいになった姿を見て私は正直うれしかった。
あの時びっくりして逃げてしまってごめんとあやまるとともに、もうあの狭い書庫へ戻らなくてもいいんだよ!再びみんなに祝福されて本当によかったな!と心の中で思った。
『青い目の人形について』(※「青い目の人形(ローズマリーちゃん)の披露並びに贈呈式」の式次第より)
「青い目の人形とは、1927年(昭和2年)に日米親善のために米国から贈られた友情人形のことです。米国人ギューリック博士が全米に呼びかけて、日本の子供たちに「平和の使者」として12,739体が贈られました。このうち宮城県には、221体が小学校・幼稚園などに届けられました。また、日本からも答礼人形として、58体の市松人形が米国に贈られました。宮城県からは「ミス宮城」を贈りました。
しかし、1941年(昭和16年)日米の開戦により、人形は「憎き敵」となり大部分が焼却されてしまいました。このとき、迫害から密かに人形を守った人たちがいます。そのおかげで、全国で約300体、宮城県では8体の存在が確認されています。上沼小、米谷小、桃生小、広渕保育所、川渡小、三本木小、村田第四小、金山図書館(※現在は金山小)で大切に保存されています。
ミス宮城は、現在米国カンザス州のマーガレット・コルベットさんが所蔵しています。コルベットさんは、米国内の小学校で「青い目の人形」にまつわる日米交流史を伝える活動をしています。また、新友情人形を上沼小と桃生小に贈ってくださいました。」
昭和2年、日米親善使節として金山小へ送られてきた人形(※「金山小学校史」より)
青い目の人形の歌
あおいめをしたおにんぎょうは
あめりかうまれのセルロイド
にほんのみなとへついたとき
いっぱいなみだをうかべてた
わたしはことばがわからない
まいごになったらなんとしよう
やさしいにほんのじょうちゃんよ
なかよくあそんでやっとくれ
なかよくあそんでやっとくれ
晴れて書庫から出てきたローズマリー
(製造元) EFFANBEE
(名前) ROSEMARY
(機能) WALK・TALK・SLEEP
(製造国) MADE IN USA
以上、私の金山図書館の思い出でした。
金山図書館創立80周年記念 後編
2016.11.16 Wednesday
金山図書館の思い出
私が小学一年生の頃、上級生から「いいところに連れてってやるよ」というのでついていきました。上級生が言う「いいところ」というのは、金山図書館のことでした。しかし、図書館と言われても全然わからない私は、いったいどういう所なんだろうか?とワクワクした記憶があります。
館内には、たくさんの上級生が熱心に本を読んでいて、一番奥の机に星先生が椅子に座っておられました。その時は挨拶を交わしただけで特にお話することはありませんでしたが、私の印象としてはやさしいおじいさんという感じの方でした。その後しばらくして先生はお亡くなりになられましたが、金山開邑400年祭では銅像の除幕式を小学生ながら見ることができました。
平成の世の中になって先生のお姿がわからない方が大分増えてきたように思います。金山まちづくりセンターの入り口では先生の銅像・図書館内ではお写真を拝見することが出来ます。
丸森町立金山図書館について(金山歴史散歩より抜粋)
大正の末から昭和初期にかけて、他市町村と同じように小学校に通俗図書館が併設されたが、星泰三郎校長は地方文化の向上進展のためには、独立した図書館が必要と提唱していた。
これが町当局を動かし、昭和8年(1933年)小学校創立60周年記念事業の一環として建設されることに決まった。昭和11年(1936年)県内6番目の公立図書館として発足した。館長は星校長が兼務。(※旧図書館は金山神社の近くにありました。詳しくは前編を見て下さい)
星泰三郎先生の銅像
昭和48年(1973年)日立工業商会社長須郷武治は、日夜をわかたず図書館活動に奮闘している老師を慰め、その労に報いんがため、住勤直結の住宅建設にでも役立ててほしいと1000万円を密かに贈ってきた。清廉な師は、私事に使うべきでないと、即座にこれを町に持参し、「年々増加する図書で、今や館も手狭になってきていること、建物も老朽化が目立ち、危険状態にあることから改築の際の基金にしてほしい」と申し入れを行った。
図書館入口の左側にある須郷武治氏顕彰碑
町はこれをうけて、昭和52年(1977年)下前川原17番地の公民館隣に完成し今に至る。(完成当時の蔵書数14,000冊、平成27年2月の蔵書数は25,161冊)
現在の金山図書館
館内
最後に、私が館内へ入って驚いたことは、入館者のノートを見た時、本を読む小学生の多さに頼もしさを覚えたことです。これからもどんどん本を読んで人生の糧にして頂きたいものです。
今回80周年という記念の年にあたり、金山図書館の運営委員の一人としてブログを通して紹介させて頂きました。
金山図書館創立80周年記念 前編
2016.11.13 Sunday
今年は金山図書館創立80周年という記念の年です。この年を記念して11月9日から12日にかけ金山まちづくりセンターホールにて所蔵展がミニ文化祭と併設して開催されました。所蔵展では金山図書館の歴史、所蔵されている貴重な図書の展示がありました。
ところで80年前の金山図書館はどこにあったかご存じでしょうか?
80年前に創立した金山図書館はお館山の麓、黄色い丸の場所にありました。
赤い星の場所に金山図書館がありました。
創立30周年の資料(※瑞雲寺にあったもの)
創立時の写真(※所蔵展より)
旧金山図書館の図面(※所蔵展より)
正面入り口
私が小学生の頃、まだ旧金山図書館があったことを覚えています。入口には鍵がかかっており、残念ながら入ることはできませんでしたが、ガラス窓から中の様子を見た記憶があります。本は全部、新しい図書館に移動されていましたので、旧館内には何も無い状態でした。その後、建物が解体され、今は更地になっています。旧金山図書館の外からの写真は多く残されていますが、館内の写真は見たことが無いので、どのような感じだったのか知りたいところです。
第39回 観音霊場参拝
2016.11.08 Tuesday
今年39回を迎えた瑞雲寺観音講霊場参拝の旅。
今回は新潟県にある瑞雲寺の本寺である耕雲寺参拝と観音霊場巡りの旅を10月30日から31日にかけ1泊2日で行って参りました。
一日目
瑞雲寺の本寺、新潟県村上市にある耕雲寺。今年は開創600周年という記念の年でした。
耕雲寺山門
本堂内にて
本堂内にある末寺の写真。赤い矢印は瑞雲寺です。
日本海の夕日
二日目
越後三十三観音霊場第二十七番曹洞宗光浄寺
新発田市曹洞宗福勝寺
越後胎内観音
胎内観音様
水害で亡くなった子供の顔が浮かんでいるとされる童女石
童女石の説明
青銅製の大きな観音様
来年も皆さんの心に残るような旅を企画したいと思います。
ポンペイのホラガイ
2016.11.05 Saturday
火山灰で埋もれた遺跡といえばポンペイ。私がポンペイを知ったのは、小学館発行の「なぜなに学習図鑑」がきっかけでした。
この「なぜなに学習図鑑」シリーズは文章よりも迫力のある絵で子供たちに理解してもらうような形式の図鑑です。「なぜなに学習図鑑」の「地震と火山」では、ポンペイが噴火で逃げ惑う人々やミイラらしき写真の紹介があってとても恐かった記憶があります。ミイラだと思っていた写真は、空洞化した遺体に石膏でかたどったものだと後で知りました。
「なぜなに地しんと火山」小学館発行
トラウマになりそうな迫力のある絵と写真
石膏でかたどったと一言も説明がないので、中学までミイラだと思っていました。
先月、NHKドキュメンタリー「地球ドラマチック」(※題名:ポンペイ 知られざるローマ人の暮らし)でポンペイのことが放映されていました。当時のポンペイはどのような町であったのか、人々はどのような暮らしをしていたのか、最後はどうだったのか等、3Dを駆使した映像はとてもわかりやすかったです。
特に番組で興味を引いたのが、ホラガイです。古代ローマ(ポンペイ)ではホラガイの中身を食べた後、貝殻の先端を切り落とすか、あるいは吹き口をつけてトランペットとして吹いていたようです。
番組では年配の女性の博士がホラガイを一生懸命吹こうとしていましたが、残念ながら音を出すまでに至りませんでした。世界で一番古いであろうポンペイのホラガイがどのような音だったのか聞いてみたかったです。
ポンペイのホラガイ
一生懸命に息を吹き込む博士