山盛りのご飯
2017.02.25 Saturday
お釈迦様が亡くなられた光景を描いた涅槃図に、山盛りのご飯を持っている方がいらっしゃいます。この方のお名前は純陀(チュンダ)といいます。
お釈迦様一行は、ある日、純陀の家に入り、心づくし食事の他にキノコ料理の食事供養を受けました。そのキノコ料理の中になぜか毒キノコが混ざっており、お釈迦さまは知っていながら食べられ、他の弟子たちには食べないよう命じられました。これがお釈迦様の最後の食事となったのです。
純陀の家を出た後、お釈迦様の体に、激しい病が起り、赤い血がほどばしり、死に至らしむ程の激しい痛みが生じました。
純陀は、自分が行った食事供養が原因で、お釈迦様が病に至ったことを伝え聞き「なんてことをしてしまったのだろう」と深く沈んでいたのでした。お釈迦さまはそんな純陀に、弟子である阿難(あなん)を通して「純陀よ憂うることはないのだよ。おまえの行った行為はまことに大きい」と伝え聞かされ、胸を撫でおろしたといいます。
瑞雲寺の涅槃図
ご飯を山盛りに差し上げている純陀
現在では、純陀がお釈迦様に供養した食事はキノコ料理となっていますが、江戸時代では「米八石」とされていたようです。瑞雲寺の涅槃図は江戸時代に描かれたことから、ご飯が描かれたのであろうと思います。
一石は150kg、八石であれば単純に計算して1200kg。涅槃図にある山盛りのご飯はたくさんの供養を表しています。人が亡くなると枕元に山盛りの枕飯を置く理由は地域によってさまざまですが、末期の水や紙華の例を出すまでもなく、釈迦涅槃から来ているものと思われます。
(※参照 絵解き涅槃図 竹林史博著 青山社、涅槃図物語 竹林史博著 大法輪閣)
某怪獣の視点に立てる山
2017.02.24 Friday
昨年のヒット映画「シン・ゴジラ」。
もし、日本にゴジラが上陸したらどうなるのだろうかと考えさせられた映画でした。
このゴジラの身長は118.5メートルだそうです。
ゴジラが丸森に来たらどうなるのか?118.5メートルをキーワードに丸森町内を探してみました。
「ジ・アート・オブ シン・ゴジラ」より
ゴジラの身長と同じくらいの山は丸森町内に何ヶ所かありますが、見晴らしが良いという条件を付け加えると数はぐっと下がります。100メートル前後の山で最適だったのは「お館山」でした。なぜならお館山は独立峰でとても見晴らしが良いからです。
国土地理院では117.1mとなっておりゴジラの身長とほぼ同じ位の高さ。
金山小から見たお館山。
ゴジラが金山に来るとなると写真のような感じなのでしょうか。
お館山の標高は、ほぼゴジラと同じ位の高さで、しかも見晴らしが良いときています。ゴジラの目線から丸森の地がどのように見えるのだろうかと想像するととても面白い山だと言えます。戦国の山として魅力の山でありますし、ゴジラの目線に立って風景を眺めるのもいいかもしれません。
四等三角点
お館山からの見晴らし
お館山の登り方
ちなみにゴジラの第3形態の身長は57メートル。お館山から見える長者山の詳しい高さはわかりませんが、国土地理院の地図から推測すると大体50数メートル位のようです。
瑞雲寺から見た長者山
長者山への登り方
長者山とお館山
暖かくなりましたら登って見てはいかがでしょうか。
カンボジアスタディツアー2006 後編
2017.02.20 Monday
第4日目(2006年3月30日)
ホテルをチェックアウトする前に日本へエアメールを出して世界遺産であるアンコールワットを見学。
カンボジア王国国旗の中央の建造物はアンコールワットを正面から見た姿であり、国の象徴として描かれています。
最初に仏教の遺跡であるアンコールトムを見学。圧倒的だったのは南大門と手前の通路の両側にナーガ(蛇神)をひく54体の神々。1体1体がかなり大きな石像で2メートル位はあるかと思われ、当時の技術の高さがうかがえる遺跡となっています。
日本へエアメール
カンボジア国旗
ナーガ(蛇神)をひく54体の神々で1体が2メートルぐらいの大きさの力強い彫刻
南大門に彫られた顔
南大門を後にしてしばらくするとアンコールトムの中心建物のバイヨンです。バイヨンとはアンコールトムにある仏教寺院のことをいいます。バイヨンの回廊のレリーフは当時の生活がしのばれ、なかでもユニークだったのはお尻をすっぽんに噛付かれている場面がありました。
アンコールトムの中心建物のバイヨン
すっぽんに噛みつかれているレリーフ
中央塔に向かって登ると塔のあちこちに観音様の顔が彫られております。その穏やかな顔を見て思わず手を合わせる程です。バイヨンの中は素晴らしい壁の彫刻と観音様の穏やかな顔の宝庫でした。
観音様の顔があちらこちらに彫られています。
アンコールワットの池
池付近ではタガメが売られていました。
午後はヒンドゥー教の壮大な墳墓のアンコールワットを見学。アンコールワットは他の遺跡に比べて段違いに大きく、墳墓の面積は1.5km×1.3kmとのこと。目的地である中央祠堂に簡単に着いたらありがたみも薄れる!と自分に言い聞かせ汗を拭きながら歩きました。
途中、聖池で逆さ富士ならぬ逆さアンコールワットをめでたく見ることができました。中央祠堂の階段はかなり急な石段で、ほとんどロッククライミング状態。小さい頃がけを登って降りられなくなったことを思い出すほど怖い石段でした。
逆さアンコールワット
アンコールワット内にある江戸時代に渡った日本人・森本右近太夫の墨書き。森本はアンコールワットを祇園精舎と思っていたようで父の菩提を弔うために仏像四体奉納したそうです。墨書きには寛永九年正月三十日と書いてあるので西暦になおすと1632年です。まだ当時は鎖国をしていませんでしたので朱印船に乗って来たのでしょう。(ちなみに1635年に日本人の海外渡航と帰国を禁止するようになった。)
中央祠堂の階段。まるで壁をよじ登っているような感じで、とても怖かったです。
そろばんの珠のようなオシャレな窓
怪我はしたくないので慎重に降りました。
カンボジアの象徴であるアンコールワット見学も終わり、飛行機で再度ベトナムに入国。
再度ベトナムへ
宿泊はホーチミン市内のホテル
第5日目(2006年3月31日)
最終日、ベトナムのホーチミンで市内視察・観光。統一会堂、戦争証跡博物館、サイゴン大教会を見学。シクロという人力車に乗ってホーチミン市内を観光。バイクの波の中を行く16台のシクロの行列は龍のようで壮観でした。
バイクバイクバイク!夜はもっと凄い。
統一会堂とは南ベトナムの大統領宮殿として利用されていた建物。
屋上にはヘリポート、地下には秘密軍事基地がありました。
戦争証跡博物館には戦争で使用された戦車や大砲、爆弾の他に、枯葉剤による影響など、戦争の傷跡が数多く展示。
シクロという自転車タクシーで市内を観光。
16台のシクロの行列は龍のようで壮観でした。
サイゴン大教会は19世紀末に建てられたカトリック教会で、別名聖母マリア 教会とも呼ばれています。赤レンガの造りの美しい建物。
市内観光も無事に終わり一路日本へ。
成田空港は外気温が4度でとても寒く感じました。このツアーに参加して、都市は発展しましたが、地雷で足を失くされたと思われる方が松葉杖をつきながら歩いていたりとまだまだ戦争の傷跡が残っているなと考えさせられることが多々ありました。
23:55ベトナム空港にて空路→→→成田へ
7:25成田空港到着。解散。
最後にサンヴァット小学校で学ぶ子供達が将来カンボジアを担う人材が輩出されることを切に願うとともに、これからもサンタピアップのボランティア活動に少しでも協力できたらと思います。
(2006年作製の瑞雲寺HPより)
カンボジアスタディツアー2006 前編
2017.02.19 Sunday
昨年の今頃はインド仏跡巡礼の旅の最中でした。(※旅については当ブログのカテゴリから見ることができます。)インドでの出来事を回想していましたら、宮城県曹洞宗青年会主催の旅行(2006年)で行ってきたカンボジアのことが頭に思い浮かびました。
カンボジアの旅行記については以前のホームページで公開しておりましたが、OCNの無料サーバーがサービスを停止してからは見ることができなくなってしまいました。幸いにも以前使用していたパソコンにデータが残っていましたので再編集してみました。
書き損じハガキで建設された13校目となるカンボジア・コンポントム州サンヴァット小学校贈呈式に出席するために、平成18年(2006年)3月27日より4月1日までの6日間にわたり、総勢16名のうちの1人としてツアーに参加してきました。
第1日目(2006年3月27日)
10時30分、成田空港を飛びだち飛行機の窓から見える富士に見送られながら、まだ行ったことのないカンボジアへ。
ベトナム経由でカンボジアへ行く為、プノンペンに到着したのはあたりは既に薄暗い18時。初日は移動で費やす一日となってしまいました。
空港入口ではSVAプノンペン事務所の方々が笑顔でお迎えに来て下さり初めてのカンボジア旅行の不安も吹き飛びました。
空港からバスでホテルに向う途中、窓から見えるのはバイク・バイク・バイク。そしてきらびやかなネオン。自分のイメージしていたカンボジアとは違う風景に驚きを隠せませんでした。
カンボジア・ベトナムへ行く前の出発式
蓮のデザインが素敵なベトナム航空の飛行機
富士山に見送られながら、まだ行ったことの無いカンボジア・ベトナムへ。
カンボジア上空から見た独特な赤茶けた大地
巨大な積乱雲
空港入り口では、SVAプノンペン事務所の方々が笑顔でお迎えに来て下さいました。
宿泊はプノンペンのホテル
第2日目(2006年3月28日)
これから行く所はSVAプノンペン事務所。
SVAとは公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(Shanti Volunteer Association)のことをいいます。
8時半頃SVAプノンペン事務所に到着し、所長さんのお話、サンタピアップの活動、カンボジアの歴史、学校の建設事業の概要、図書館活動の成果などをお話して頂きました。(※SVAの活動に関してはHPをご覧ください)
ツアーに参加する前
「なぜカンボジアに小学校を建てるのか?政府がお金を出して建てれば簡単に解決できるのではないか?」
私はそんな疑問を持っていました。
その答えは1970年代の内戦中、特にポルポト政権時代に取られた教育の否定政策により多くの先生や僧侶などの知識人の命を奪い、学校が破壊され、アジアの中でも特殊な歴史背景を持った国であったのと現政府の財源の状況は極端に悪化しているので学校建設もままならないからだそうです。
学校を作るにあたり、まずはじめたことはかつては教育の中心地であったお寺の再建。仏教国であるカンボジアではお寺が心の支え、そして町の中心になっています。まずはお寺の再建から出発したのだそうです。
2日目から、トヨタのランクルで移動。
8時半ごろSVA事務所に到着。
SVA事務所のプレート
SVA事務所内部
移動図書館の説明を受ける。
後ろがカブで前がスクーターちょっと変わったカンボジアのバイクの写真をパチリ!
その後ツールスレン収容所を見学。市内の中心部にある元学校の校舎が、ポルポト時代に刑務所として使われました。ここに収容された2万人のうち生還できたのはたったの6人だったといわれています。
特に印象的だったのは亡くなった子供達の写真。もし生きていれば私と同じ年代です。そのあどけない子供達の写真を見ていると何ともいえない感情がわきあがり心の中で手を合わせました。
ポルポト時代、無意味な虐殺はカンボジア全土で行われました。二度と繰り返してはならない愚行であり、現在は残虐行為を後世に伝えるための博物館として公開されています。
ポルポト時代の刑務所の鉄格子
亡くなった子供達の写真が掲げられている。
昼食後、明日訪れるサンヴァット小学校のあるコンポントムのホテルに向かいました。約200kmの移動中、車の窓から見る景色は乾季のためか緑が少なく赤茶けた大地と枝のない独特な樹木の風景が続きました。荒涼な大地の中でも手で印を結んだような白い蓮の花が咲いているのを見て心が和らぎました。
ところどころにあるオアシスらしき町。町の中には必ずといっていいほど寺院があり建設中のも結構ありました。SVAの方たちが言っていた「教育の中心地であったお寺の再建」をすることによってカンボジアが復興していく様子を見て感じ取ることができました。
途中車の窓から見る景色は乾季の為か緑が少なく、荒涼な大地が続きました。
宿泊はコンポントムのホテル
第3日目(2006年3月29日)
ピカッ!ゴロゴロゴロッ!
午前3時ごろ、地響きのような雷鳴と激しい雨音で眼が覚めました。
朝早い6時45分頃雨降りの中、4WDに乗り込みサンヴァット小学校を目指して出発。あいにく道は整備されていなく、しかも雨で泥だらけ。悪路のためタイヤがスリップしたり、なかなかスピードが出せないので平均時速約20キロで進んでいきました。
9時、サンヴァット小学校に到着。入口には村人総出のお迎え、こんな大勢に歓迎されたのは生まれて初めてのことでしたのでとても嬉しかったです。
開校式の会場は草葺きの屋根で雨漏りがひどく、椅子には水滴がついていましたが、サンヴァット村の婦人会の方々が丁寧に拭いてくれました。後で聞けばこの雨漏りのする草葺きの会場こそが旧校舎だったのです。
しばらくして5人のオレンジ色の衣を着た僧侶がお経を唱え、続いて私達日本人僧侶の読経、参列者の紹介、副知事の挨拶。その後、新しい小学校校舎に移動。
6時45分ごろサンヴァット小学校を目指して出発。乾季に雨が降るというのはかなり珍しいそうです。
道は整備されていなく、しかも雨で車は泥だらけ。悪路のためタイヤがスリップしたり、揺れたりとすごい状況でした。
9時、サンヴァット小学校に到着。遠くに見えるのは新しく出来た小学校。手前は開校式で使われた旧校舎。地面には、雨が降って水が溜まっています。
開校式が行われた旧校舎は、雨漏りしていたのにも関わらずたくさんの人が集まっていました。
校舎見学の時には日本から持ってきたけん玉の技の披露を致しました。子供達は見慣れない遊び道具に興味津々の様子。けん玉で遊んだ後、子供たちにプレゼントしました。
けん玉の後に将来の夢を聞いたところ医者や学校の先生になりたいという子供が多く、「あの小学校を卒業したおかげで今の自分がある」と自信を持って言えるような人がたくさん輩出されることを願います。
新しく作ったのは校舎だけでなくトイレ、井戸、お釈迦様の祠です。お釈迦様の祠の前で私達が読経をした際、SVAの人が言っていた「カンボジアではお寺が心の支え」(※カンボジアは仏教徒が約90%)という意味がやっと理解できました。
開校式が終わり新校舎の見学。移動する際も子供達の手厚い歓迎を受けました。
新しくできた小学校
けん玉で遊ぶ子供たち
新しくできたトイレ
井戸と水汲みポンプ
小学校内に建てられたお釈迦様の祠
金色のお釈迦様が安置されていました。
紙芝居をしているところ。村人も含めて紙芝居を見たのは生まれてはじめてだそうです。子供達の目は食い入るように見ていました。
帰りもたくさんの人に見送って頂きました。みんな頑張れよー!
小学校の開校式も無事に終わり、世界遺産のあるシュムリアップへ。
移動中は枝の無い独特な樹木の風景が続きました。
トヨタのランクル。積算距離30万キロ。
夕日が綺麗な場所として有名なプノン・パケン。小高い丘にあるのですが道がとても険しいため頂上についたころには汗だくでした。
遠くには明日行くことになるアンコールワットが見えます。夕日は残念ながら雲が邪魔をして見ることが出来ませんでした。
男性のシンボルと女性のシンボルが合体したといわれるリンガ。
宿泊はシュムリアップのホテル
涅槃図と今年の干支
2017.02.16 Thursday
今年の干支は酉(とり)年です。涅槃図を見てみると鳥類が多いことがわかります。なぜ鳥類が多く描かれているのか調べてみましたがわかりませんでした。
涅槃図を見て思ったことは、お釈迦様は鳥たちにも慕われていたということです。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源(あさひなそうげん)老師はおっしゃっています。
「わしは子どものとき、お寺の涅槃会におまいりして、ねはんだんごを食べながら、ふと涅槃図を見た。なんとお釈迦さまのまわりに、たくさんの人が泣いている。動物や鳥まで泣いている。わしも死ぬときには鳥にも泣かれるような人間になりたいと、子どもながらに思った。それがわしの出家の縁になった」(松原泰道著「釈尊最後の旅と死」祥伝社)。
鳥はおろか、うちで飼っている猫にも逃げられるようではまだまだだと思った一日でした。
最後に涅槃図にはどのような鳥が描かれているのか撮影してみました。
今年の干支である鶏(酉)
種類はわかりませんが、かわいらしい鳥達。
人頭鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)。美音鳥・妙音鳥と訳され、歌声が素晴らしい極楽に棲む鳥です。
節分
2017.02.03 Friday
今日は節分、季節の節目ということで、年に4回(立春・立夏・立秋・立冬)あるそうです。
18時より、瑞雲寺本堂に於いて、豆を供えて御祈祷した後、各部屋ごとに「福は内」という掛け声とともに豆をまきました。思い切って大量の豆をまきたかったのですが、回収が大変なので少量にしました。
升に入った豆
瑞雲寺において豆まきの際の掛け声は「福は内」です。
その理由は、金龍山瑞雲寺の住所は金山字鬼形、地名が鬼に関係のあることから「鬼は外」とは言わずに「福は内」と言って豆をまいています
ちなみに鬼形という地名の由来ですが、金龍山の左側に鬼形山という山があります。
山の頂上には、鬼のように大きな石があったことから鬼形になったようです。
※鬼形山の鬼石についてはこちら
※丸森で「鬼」という字を使う地名は鬼形の他に大内の鬼ヶ柵があります。