木魚
2017.06.30 Friday
「ポクポクポク・・」と皆さんが一度は耳にしたことのある木魚は、もともと食事の時に鳴らされていた魚形の鳴器でした。明の時代にお坊さんが唱えるお経の調子を整える為につくられたものが木魚となり、食事の時に鳴らされていた木魚は「梆(ほう)」と呼ばれるようになりました。
昔は「木魚」と呼ばれていた「梆(ほう)」
なぜ寺に魚なのかといいますと、まぶたの無い魚は昼夜眠らないことから、怠りなく修行すれば凡(魚)を転じて聖(龍)となることができるということで、上の写真のような形になりました。
滝を昇る魚と雲から顔を出す龍
現在の木魚の形は雌雄の龍(※元は魚)が珠をくわえている姿となっております。木魚の材質、バイ(※木魚を叩く棒のようなもの)にもよりますが、大きければ大きいほど「ドッドッ・・」といった低音が増し、小さくなるほど「ポクポク・・」といった高音になります。
瑞雲寺にある木魚
横から撮影
一本の木から木魚の形に削り、さらに音が鳴るように隙間を利用して中身も削るという職人の技術には目を見張るものがあります。雌雄の龍が一つの珠をくわえているデザインは一緒であるものの大量生産できない一品物ですので、各寺院様の木魚を拝見する際、微妙に違っていることに新鮮さを感じます。
小さい木魚と大きな木魚の比較
木魚を逆さまにしてみました。雌雄の龍が珠をくわえる姿となっているのがおわかりだと思います。
木魚がいくら良いものでも、叩き手が悪ければいい音が出ません。私の修行時代も先輩に教えられ練習しました。ただ叩くだけではダメで、手首のスナップを利かせるのが重要だと教えられた記憶があります。まるで野球部ですね。
木魚は誰でもバイを持って叩けば音が出ます。しかし、簡単に見えるものほど、聞き手はすぐに叩き手の力量がわかってしまうという実に難しく奥が深い鳴器だと思いました。
瑞雲寺の一番小さな木魚
小さくなると彫刻が甘くなり、何となく仮面ライダーに似てきます。それもまた木魚の魅力の一つです。
仮面ライダー型の木魚はありませんが、ウルトラマンの木魚は製作・販売されていたようです。
白蛇観音
2017.06.29 Thursday
特撮の撮影場所に意外と多いのが寺社仏閣です。
超人バロム・1 第33話の撮影された場所は、群馬県太田市のヘビセンター(※現在はジャパンスネークセンター)と白蛇観音様です。
私の母方の実家が群馬県でしたので、祖父に連れられヘビセンターに行って怖い思いをした記憶があります。ヘビセンター以外にに、桐生が岡公園内の動物園と遊園地によく連れて行ってもらいました。特に公園内にある黄色い飛行機は乗りたくてしょうがなかった思い出があります。
ヘビセンターの懐かしい映像を見て、久しぶりに群馬に行きたくなりました。
第33話は、やぶ塚温泉(太田市)が舞台です。
巳の日のマムシの水洗い
ヘビセンター内の白蛇観音様(※光背が蛇)
光背とともに台座が蛇になっています。
白蛇観音様の前でマムシ供養。とても貴重な映像だと思います。
同じくマムシ供養の一コマ
今でもマムシ供養は行っているのでしょうか?
ホームページを見てみると白蛇観音祭となっていました。
最後は白蛇観音様の前で歌う人々。ものすごくシュールです。
歌いながら階段を降りるシーン
今年の観音霊場参拝の旅は白蛇観音様をコースに入れたいですね。
超人バロム・1 第33話 PART1
超人バロム・1 第33話 PART2
平成29年度第六教区護持会総会
2017.06.28 Wednesday
大内田辺・長泉寺様を会場にして平成29年度特派布教道場と第六教区護持会総会が開催されました。
10時より秋田県寶珠寺住職岩舘裕章老師による御法話。曹洞宗管長福山諦法禅師様の告諭(おことば)を中心に同事とは何かについて御法話して下さいました。(※同事とは、一人ひとりの悲しみや苦しみを受け止めあい支えあう。同悲・同苦の生き方であり、すべての人と物の間に垣根を作らない和合の生き方。)
布教道場の後は、引き続いて本堂にて護持会総会。平成28年事業報告並びに収入支出決算報告、監査報告、平成29年度事業計画(案)並びに収入支出予算(案)、教区護持会役員の選任について話し合われました。
心の電話
2017.06.17 Saturday
曹洞宗東北管区教化センターより「心の電話」のチラシが送付されてきました。
「心の電話」は電話で聞ける約3分間の法話です。
お時間がありましたら聞いてみてはいかがでしょうか。
Webからでも聞くことができます。
角田毛萱の石碑
2017.06.16 Friday
大河原へ行く時、信号機手前に気になっているものがありました。いつもは気になっていながらも通り過ぎてしまうのですが、思い切って行ってみることにしました。
矢印のところにあります。
とても気になる建物
近づいてみると屋根の下には石碑がありました。
一番大きな石碑には梵字らしきものがかすかに確認することができました。
この石碑は何が彫られているのだろうかと「角田市の文化財」(角田市教育委員会発行)で調べてみました。
角田市の文化財より
おそらく、キリーク(阿弥陀如来)が彫られていたのだろうと思われます。
「角田市の文化財」では、梵字のみ彫られた石碑は、紀年名や施主名が彫られていないことから、建立の趣旨等については推察するに留めてありました。
車の時代となり、石碑を見ることなく通り過ぎて行くことが当たり前となりました。たまには車から降りて、歩きが当たり前であった時代を偲んでみるのも良いですね。