ほら貝のペットボトルケース
2018.12.29 Saturday
ほら貝のペットボトルケースという面白いもの(販売サイト:YOU+MORE!)を見つけてしまいました。よく説明を読んでみるとほら貝の形をしたペットボトルのケースだそうです。もちろん音は出ませんが、飲むだけで士気が上がるのでは?とのことです。ペットボトルのケースと油断をさせておいて、本物のほら貝を入れて吹いたら面白そうです。
仏旗
2018.12.28 Friday
先日、瑞雲寺山門にカラフルなデザインの旗を掲げる行事がありました。行事に参加された方の一人から「あの旗はどこの国の旗ですか?」と聞かれましたので、「仏旗(ぶっき)と申しまして、仏教を象徴する旗です」と答えました。
この旗は、世界仏教徒連盟(WFB)が結成され、スリランカでの第一回世界仏教徒会議が開かれた1950年に、正式に「国際仏旗」として採択されました。(※日本仏教会HPより)
旧仏旗
ブッダガヤにはためく新仏旗(※2015年、インドへ行った時に撮影)
心の電話
成道会
2018.12.09 Sunday
昨日12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた日「成道の日」。
成道(じょうどう)というのは、「仏教の修行を完成し、悟りを開くこと」という意味です。
瑞雲寺ではお釈迦さまの悟りの日に因み、成道会(じょうどうえ)という法要をいとなみました。お釈迦さまが悟られた成道の日が大切なのはもちろんの事、悟りに到るまでの過程も大切であると思います。
お釈迦さまが生きていた当時の修行法には二種類ありました。それは坐禅瞑想して精神を統一する禅定。もう一つは断食(食を断つこと)などによる苦行です。
はじめ、お釈迦さまはある二人の仙人のもとで禅定の教えを受けていました。禅定に入っている時は不安や悩みを克服できても、一旦禅定から離れると、心に不安が戻ってくるのでした。
そのようなわけでお釈迦さまは、もう一つの修行法である苦行の道(断食:食を断つこと)に入りました。目は窪み、あばら骨が一つ一つ数えることができるほどに痩せ、肌の色はくすみ生きているとは思えない程だったといいます。
驚くことにお釈迦さまは、このような苦行を6年間も命がけで修行されていました。しかし、この苦行はお釈迦さまが思っている問題を解決するには到りませんでした。苦行は、肉体を苦しめ心に平安をもたらすどころか、ますます乱すものだったのです。
結局、苦行とは出家以前の享楽的な生活のもう一方の極端にしか過ぎないことに気づき、6年間の苦行を思い切って捨てる決意をしました。6年もの真剣に修行してきた苦行という積み重ねを捨てるというのはよほどの勇気がないとできるものではありません。
6年もの苦行を捨てるという大決意をされたお釈迦さまは、河の流れに身を清め、村の娘スジャータの乳粥の供養を受け体力を徐々に回復しました。そして、ブッダガヤの菩提樹という木のもとで、坐禅に入ります。悟りを開くまでここを動かないと決意し8日目、明けの明星を仰いだ時にお悟りを開き、仏陀(ブッダ)となられたのでした。
お釈迦さまのお悟りが無ければ、仏教は成り立ちませんでした。約2500年経った今でもお釈迦さまの教えを学ぶことの有難さに感謝して日々弁道精進していければと成道会の法要をしていて思いました。
前正覚山の留影窟(※お釈迦様がお悟りを開くまで6年もの間苦行された洞窟)
留影窟手前にある釈尊苦行のプレート
干し柿作り
2018.12.08 Saturday
2日は天気が良かったので、あらかじめ取っておいた渋柿を包丁で剥いて干し柿作りました。
瑞雲寺は山を背にしているので、日が照って暖かい午前中に集中して皮むきを決行。
干し柿は、暖かい日が続くとカビがはえたり、紐で吊るしても「ボタッ」と落ちてしまう等、なかなか難しいものがあります。4日の記録的な暖かさで干し柿がだめになるかと思いきや、5日には強い寒気が南下したことにより通常の寒さが戻ってきたようです。
干し柿にとっておいしくなる条件というのは、寒暖の差だそうです。これからの人生、寒暖の差の如く、良い事もあれば辛いこともあることでしょう。それにめげず干し柿のような味のある人になれたらなと、紐を吊るしていて思いました。
ひたすら渋柿を包丁で剥きます。只管打坐ならぬ只管皮剥。
剥いた柿を紐に通します。日が照っているとはいえ、手が冷たくなる作業です。
1月あたりが食べごろの予定です。